山田町への政務調査視察で感じたこと

※あとで追記します

 現在、盛岡市内のホテルから更新しています。

 8日に盛岡入りし、9日の午後から、山田町役場にお世話になりました。盛岡市からは、国道106号線で宮古市に入り、国道45号線で山田町に入るのですが、距離にして約120km、2時間半から3時間くらい、ほとんど山のなかを走ります。宮古市街地に入ると、海岸に近い場所は、YoutubeやTV報道で見た同じ風景がいくつもありました。生々しく、津波が堤防を越えるのを、ただただ見つめるしかない映像でしたが、いまはその場所に自分がいる不思議さを感じます。しかし、あのときからはかなり片付いており、更地になっている場所も多かったです。

 ところが、山田町の豊間根地区から、山を越えて海岸部の大沢地区に入ると、いままでとは状況が一変しました。青々と茂った雑草が目立つのですが、そこはもともと家屋が立っていた場所であり、家の基礎だけがかろうじてわかる程度です。それが、あたり一面なので、「ここには集落があったのだ」と驚くばかりです。かなりの高さの防波堤も、あちこちでひっくり返っており、崩れかけた堤防も、砂の山にコンクリートを被せているだけのようです。しかし、日曜大工品の”ホーマック”が仮営業し、その道路向かいの”しまむら”が、営業再開していました。どちらにも多くの車が止まっていて、”復興”の力強さを感じたところです。

 その先の、県立山田病院のある場所の近くには、真新しい町営のマンションがあるのですが、3階のベランダまで漂流物が引っかかっています。宝来橋を渡ったすぐ横に、町立北浜地区防災センターがあったのですが、鉄筋の骨組みや壁の一部は残っているものの、無残な姿をさらしていました。この辺りから、まちの中心部になるようですが、地元スーパーの”びはんプラザ”が営業再開しており、次の日に立ち寄りましたが、多くの買い物買い物客でにぎわっていました。このスーパーの脇には、個人事業主のプレハブ店舗も仮営業を始めています。山田町商工会では、こうした仮店舗での営業再開を支援しており、今後も増やしていきたいと考えているようです。

 びはんプラザを通り過ぎた辺りからは、いっそう見通しがよくなっており、初めてみる分には、「山際にしか家がないまちやな」と感じてしまいます。しかし、海岸部には高い防波堤が残っていますが、かろうじて残っている2階や3階まで、大きな打撃を受けています。見通しがよいのは、建物の全てがなくなっているからであり、この場所が、津波被害と大火災に見舞われた地区であったと思いだしました。火災が鎮火したあとのこの地区は、空爆にでもあったような、黒こげた瓦礫と漂流物の散乱でしたが、いまは大方が片付けられていました。それがかえって、違和感のある風景にも感じます。ここの奥まったところに、山田町役場があって、八幡町の由来にもなっている八幡神社がとなりにありました。

 13時から14時ごろまでは、山田町役場の一室で、沼崎町長と面会し、佐々木総務課課長とともに、被災前から被災直後の動向を聞かせていただきました。沼崎町長の自宅も、織笠地区にあったのですが、いまは基礎しかないとのことでした。あとで、その地区を見て回りましたが、あたり一面に基礎が残るだけで、見通しのよい平野のようでした。被災直前は、本会議の再開を控えており、大きな地震によって中止になったようです。それから20分か25分くらいあとに、大きな津波がまちを襲うのを見たそうです。そのときは、それが現実なのかどうかさえも戸惑うほどの衝撃だったようで、避難者があたり一帯に、命からがら逃げのびてきていました。

 沼崎町長からは、被災後の動向も聞きましたが、この一帯は同時に火災にも見舞われたので、その火災が収まるまで何もできなかったことや、職員を含めて、不眠不休の救援活動が始まったことを聞きました。当時の様子を想像しても、未曾有の災害だっただけに、何から手をつけてよいのかわからいままに、できることから手をつけていった印象でした。これを”想定外の津波”と言えば、簡単に片付きますが、そうだとしても、そこには人の命があり、生死の境や安否があり、止まった時間が再び動き出した現実に対する対応が求められていました。被災直後から、何もかもがいっぺんに現実として動き出すので、しばらくは本当に大変だったと感じました。

 今後の復興計画についてもお話を聞きましたが、まちの復興や再興は、一筋縄ではいかない印象でした。あまりにも課題が多く、かなりの英断と即応が必要だと感じました。そのためには、地域住民の理解と協力も必要で、「30年後の山田町を想像するのか?」、「未来の子どもたちのために残せるまちにするのか?」など、具体的な数値でもって復興計画を推し進めていくしかないでしょう。どうしても、目先の復興になってしまいがちですが、在住者の知恵だけでなく、故郷を忘れていない出身者の視点も取り入れたらいいのではないだろうかと、お話を聞きながら考えていました。よそ者の視点としては、先人の教えや先見の明があったと、後世の町民に語られるまちにしてほしい気があります。

 このあと、主だった被害状況などを、佐藤危機管理係長や尾形議会事務局長に案内いただきました。写真付きで別記しますが、今回の政務調査視察の受け入れは、三重県が長期的にボランティア支援していることや、ボランティア支援などでお世話になっている、山田町議会の豊間根議員の尽力によって実現しました。また、実際に受け入れをしていただいた山田町役場には、できなかったことも含めて、多くの現実を語っていただき、大変に参考になりました。「私たちの被災を、ぜひ尾鷲市の防災や減災にお役立てください」との言葉もいただき、いっそうの支援を自身にも誓いました。
by owase874 | 2011-08-11 04:36 | 防災とまちづくり


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当ブログに来ていただきありがとうございます。私が政治に関心をもったのは、災害現場でボランティアとして活動しているときに、どうしても市民活動・NPO活動だけでは届かない声があると感じてからです。1995年の、阪神淡路大震災のときです。それ以降、政策提言できる市民活動を合言葉に、さまざまなことを実践しています(市民派向けのブログもあります。こちらCafe_CReAM モノ語り)。


これまでの思いが実現したのが、2006年11月から、2期6年半在職した尾鷲市議会議員でした。3期目の挑戦には苦杯しましたが、貴重な実体験をさせていただき、条例の制定を中心にした議会改革や、市民活動で培った政策提言を直接できる立場として、負託の重さを実感することができました。

また、尾鷲市議として負託をいただいてからは、この地域ではいち早く、議員活動をお知らせする手段の一つとして、このブログを活用しました。当時のことも含め、日々私が何を感じ、何を考えているかを綴る活動報告にもなっています。なお、2014年5月1日からは、三重県熊野市議会議員として、あらたな1歩を踏み出します。

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