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なぜ、熊野市議会議員を目指すことになったのか?

※地元紙のヨシクマ新聞に、大きな見出しとともに記事が掲載されました。ごく最近、SNSサイトに、私の思いというか、いまの決意を掲載したところ、記者の目の止まったようです。正式な出馬表明など、そこまでの段取りも準備もできていませんが、きちんとできるようになった段階がくればと考えていました。しかし、記事が出たのは、ヨシクマ新聞の取材力によるものですし、記事の内容に偽りも差異もありません。そこで、あの記事を補足する形で、SNSに掲載した全文をここでもお知らせします。あらためて、準備ができれば、正式に表明することにします。

 熊野市に戻っても、キタガワノホトリ(東紀州市民活動支援センター)がある尾鷲市には通っています。また、娘が3月末まで尾鷲市内の保育園へ通うことにしたので、送り迎えもしなくてはなりません。今回、最終的に思い悩んだことは、娘の将来であり、保育園をここで全うさせるのか、早いうちに転園させるのか、でした。結果的には、3月末での転園となり、娘にも説明をしました。本人は、まだ理解はできていないようですが、周りには「ひっこしするん」と言っているようです。その本当の引っ越しも、急ぎ荷物をまとめたり、実家に居候している部屋の居場所を広げたりしています。何もかもが、後手後手のようですし、僕らしいといえばそれまでです。

 しかし、僕にとっての賽は投げられているので、実家の父親を伴いながら、地元の主要な方へのあいさつ回りを重ねたり、これからすべきことを共有したりしています。一番の懸念であった、同じ地区から選出されている先輩議員のところにも、父親を伴って挨拶に行ってきました。非常にバツの悪い話ですが、仁義を通すことはなによりも大事ですし、だからといって、自分自身の気持ちは前に向かっているので、その日がくればライバルとなります。これは、尾鷲市で市議会議員であった頃とは違う感覚ですので、地元選出の先輩議員の話を聞いて、闘志といっていいのかわかりませんが、ふつふつと燃え上がるものが沸き起こりました。この戦いには、まずは負けるわけにはいかないのです。

 では、なぜそうまでしてそこを目指すのか?

 僕は、東紀州地域はひとつであるが持論です。なににおいても、それぞれの自治体の枠はあったとしても、三重県で括れば東紀州ですし、もっと高いところから見れば、三重県南部か紀伊半島南部という位置づけです。日常生活する環境に大差はなく、同じような課題や問題も抱えています。解決するには、自治体の枠内でしかできないこともあるでしょうが、もっと広い視野から、この地域の将来や未来を考えることが必要だと感じています。多様な文化や伝統、慣習が脈々と受け継がれている地域であっても、抱える課題に共通することが多いので、東紀州は一体となる必要があるはずです。

 その点で言えば、僕は熊野市の出身でありながら、尾鷲市に移住し、尾鷲市で市議会議員を目指しました。僕としては、どの地域に住んでいても、故郷は熊野市飛鳥町に変わりないし、この地域のどこにいても、人に寄り添う活動には境目がないと考えていました。前回にも書きましたが、ここに、市議会議員と率先する市民としてのギャップを感じることもあったのですが、世界遺産登録10週年を迎えようとしているこの地域は、伊勢路が1本の道で繋がっているように、その道沿いを軸として暮らす住民も、寄り添って生きていかねばならないのです。そこに、自治体の境目を押し付けたとしても、人は自由に道を通って交流するのです。

 しかし、僕の不甲斐なさで、尾鷲市での議員生活に終止符を打つことになりましたが、この点に後悔はありません。好きなように選挙戦をやらせていただき、その結果は甘んじて受けるしかありません。いまでも、僕に声をかけてくれたり、次回への期待を言葉にしてくれる尾鷲市内の人たちには、裏切るような気持ちがあることも確かです。しかし、僕の進むべき道は、どこにいても、東紀州はひとつという考えであり、この地域の人たちにとって大事なことを、自分の考えと信念でもって、次は熊野市にぶつけていきたいと考えています。そのときに、やはり議員という立場でいることは、僕にとっては大事なことであるのです。

 そして、熊野市に戻ってまで目指すことになったのは、2011年の紀伊半島大水害が大きく影響しています。あのとき、僕は災害発生前から全国に情報発信し、被災してからも、いち早く実家の飛鳥町に赴いて、近隣の被災状況をレポートしました。自分が生まれ育ったまちが被災したのを目の当たりにして、僕にはもっとできることがあるのだと、もっとやらねばならぬことがあるのだと、強く確信しました。折しも、東日本大震災が発生したあとで、こちらの支援を主にしていた時期でしたが、我が故郷をほっておくことなんてできるはずがありませんでした。すぐに気持ちを切り替えて、全国の仲間にも呼びかけて、できることを淡々とこなしたつもりです。

 このときは、熊野市の飛鳥町を皮切りに、大又川沿いの五郷町や、災害ボランティアの手が薄かった井戸町の大馬地区や大馬神社などに、延べ24日間で約230名を超える災害ボランティアを派遣しました。大きく被災した大馬神社には、関西方面の大学生を中心にした学生ボランティア団体のIVUSAも、大勢でもって駆けつけてくれました。人の生活に密着した場所や、思い入れのある場所をいちはやくキレイにすることが、住んでいる人たちの勇気となり、明るさを取り戻す最短距離であることを、これまでの活動で体得していたからです。また、年が明けた2012年には、漂着ゴミがそのままだった熊野市の大泊海水浴場の清掃活動で、延べ7日間、約800名のボランティアに駆けつけてもらいました。このときも、大勢のIVUSAの学生ボランティアたちが、清掃の中心を担ってくれました。よそ者が、熊野市のために汗を流してくれたのです。また、メディアで惨状を訴え続けていた紀和町の小船地区にも、その後の支援を継続する形で、梅まつりや梅の収穫に、いまでも手伝いに行かせてもらっています。

 大事なことは、人に寄り添うことであり、使命感をもって、困っている人や地域に手を差し伸べることです。それを、自治体の枠で抑制することはできないし、当時の僕が尾鷲市議会議員であったのは肩書のことだけで、この地域に住んでいる以上、どこにでも飛んでいけることが、僕にとっては普通のことなのです。もちろん、この地域で大きく被災したことは、それまで住んでいた尾鷲市にも教訓になることは明らかでしたし、そのときの活動で感じたことを、当時の施策に反映するようにも声をあげました。しかし、思うように受け入れられなかったのも事実ですし、僕がギャップを感じたのもこのときでした。まだまだ、東紀州がひとつであるという実感や実践が、この地域全体で進んでいないこともあるのです。それもあって、このときの災害で、故郷への回帰が起こったのは確かです。また、その迷いが、尾鷲市での結果を招いたと考えることもありました。

 率先する市民としては、東紀州のどこにいても、思いや考えは同じです。しかし、熊野市に戻り、4月に目指すからには、自分の故郷を拠点にして、中山間地域のいまある姿が本当にこのままでいいのかを考え、東紀州全体に影響を与えるような発言や実践ができればと強く感じています。尾鷲市議会議員としてやってきたことは、必ず僕の糧になっているので、さらに飛躍したいと考えています。災害を止めることはできませんが、被災を極力小さくすることは不可能ではないので、実践しながら施策に反映させることができればと感じています。政策提言をしていくことが、これからの率先する市民には必要不可欠です。その代表のひとりとして、東紀州地域における市民活動のあり方を考えながら、政治家としての活動もしたいと考えています。

 結果的に、選挙を渡り歩くことへの批判は甘んじて受けます。まだ1年も経っていません。しかし、2011年の災害を契機に、僕は故郷のあるべき姿を模索するようになりました。また、このときの経験が、この地域で必ず教訓となることも確信しました。だからこそ、尾鷲市で踏ん張る気持ちで3期目を目指したのです。もちろん、どこにいても、東紀州はひとつであるという持論をもとにです。ただし、選挙に破れてからの半年で、自分を見つめなおし、原点に帰りたいという気持ちにもなりました。この気持ちは、尾鷲市にいたからこそ、体得できたものだと感じています。次は、負けるわけにはいきません。僕がこれまでやってきたことは、歩いてきた道として、細いながらも轍が残っています。次に、この轍を通ってくる人たちの道標となるよう、あるいは基礎となるように、僕は信念を変えることなく、東紀州のあるべき姿を、熊野市を通じて実践していきたいと考えています。

 絶対的に、東紀州はひとつです。


※これに伴い、後援会活動への賛同者、参加者を募集する段取りをしています。熊野市内の在住者のみならず、これまで同様に、県外者も歓迎します。私の指南役、アドバイザーとして、末永く支えていただければ幸甚です。また、4月になって軌道にのれば、選挙活動なども入ってくるので、できる範囲でのサポートをよろしくお願いします。選対などない状態ですので、なにかもが手探り、手づくりになります。皆さまのお力とご支援が必要です。
by owase874 | 2014-01-25 02:34 | コラム「温故知新」

数字に惑わされていないか?

 三重県が発表した、平成26年お正月期間中の県内主要施設の観光入込客数についてです。

■平成26年お正月期間中の県内主要施設の観光入込客数について
 http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/2014010017.htm

 ネットニュースなどでも、県内主要施設の状況を報道していますが、ここで気になることがありました。道の駅の紀伊長島マンボウが、唯一前年度の入り込み数を減少し、高速道路の影響を受けたとありました。
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 三重県知事にとっても、ご満悦な数字が出たということですが、報道によって、マンボウがそこまで言われることはないと感じますよね。だって、東紀州地域の調査施設では、断トツの三が日11,236人を達成しています。数字が伸びたと言われた三重県立熊野古道センターは、1,557人どまりです。熊野市のお綱茶屋にしても、7,300人となっています。数字の単純比較では、マンボウの誘客力はもの凄いと言うことです。
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 しかし、対前年比3,056人の減となれば、高速道路の影響は否めないでしょうし、反対に、県立熊野古道センターについては、高速道路の延伸が増加につながったとまで言っていいのかの判断がつきません。なにせ、対前年比373人です…これは、お綱茶屋の800人の増でも言えることです。もう少しデータが欲しいところですが、2回の調査データで、あたかも結論付けるような結果を出すこともないでしょう。

 そんな数字のマジックに惑わされるよりは、公表不可の7施設ってのも気になります。と言うか、三重県が調査したということですから、この7施設にもそれなりの県予算が使われたはずです。それで非公開と言うのは、県民の知る権利を蔑ろにしていないかと考えてしまいます。公表した10施設の姿勢には評価できますが、なぜ非公開なのかを公開する必要性があると感じますね。このあたり、県議会議員の追求を待ちたいところです。おそらくは、情報公開請求で知ることはできるかも知れません。

 大事なことは、入り込み客の増減から予測したり、今後の検討をしたりすることですが、三重県の調査に公開不可があることも、私にとっては気になったところです。実際には、世間に公開されずとも、内部公開はされているでしょうから、その傾向から今後を検討していることと感じます。しかし、そこを公開するのが透明性ですよね。

 それにしても、道の駅紀伊長島マンボウって、県南の道の駅のなかでも突出しているのではないでしょうか?高速道路の延伸がもたらす功罪ってあると感じますが、魅力があれば人は寄り付くものです。今後、県南の高速道路はさらに延伸し、尾鷲においても、キタとミナミが繋がる日も近いでしょう。いまは熊野市の大泊までですが、さらに和歌山県側まで伸びることになったとき、この地域のすべきことは、いまから考えていくことだと痛感しています。

 余談ですが、数字をみると、ついつい追跡したくなりますね。
by owase874 | 2014-01-10 20:27 | コラム「温故知新」

決心

 1月6日(月)は、熊野市にある大馬神社の例大祭でした。

 ちいさい頃から、大馬神社は実家の飛鳥町を越えた先にあって、僕が熊野市を離れるまでは、遊び場に近い神域でした。この近くには、水大師もあるのですが、ここを経由して神社に行っていました。

 学業で大阪に出てからは、しばらくは疎遠になるのですが、2011年の紀伊半島大水害で、大馬神社周辺も大きく被災していることがわかり、大勢の災害ボランティアが復旧に駆けつけてくれました。延べ人数で言うと、300人を優に超えるはずです。

それが縁で、災害の翌年からは、神社の方から功労者として例大祭に声かけしていただけるようになりました。当時の災害ボランティアの代表として、毎年参列させていただくとともに、一年の計は元旦にありではないですが、大馬神社にお参りすることが、僕にとってのはじまりとなっています。

 なので、僕にとっては、この日と決めておりました。

 わたくし、端無徹也は、この神事のあとに、尾鷲市民から熊野市民に戻りました。実に、約9年ぶりのことですが、僕にとっては、この半年の間に考えぬいて出した答えになります。この決断は、本当に大きな人生の選択でありました。もちろん、さまざまな指摘や意見を承知の上での決心です。甘んじて、受けようと考えています。

 そして、この決断の先には、4月に行われる熊野市議会選挙に挑戦することを念頭においています。もちろん、なんの準備も支援もないままですが、政治の世界に身をおくことが、いまの僕が望む道であり、市民活動との両輪で、この地域に一石を投じたいとの強い気持ちがあるからです。

 今後は、そのための準備をしながら、これまで通りの活動も継続していく所存です。ここまでの決心は、誰にも相談せずに決めましたが、最後の迷いがあったときに、両親には理解を求めました。正直なところ、両親は困窮していましたが、父親からは、「お前は決めたことはやるんだろ?覚悟があるなら仕方がないな」と言っていました。本当に、バカ息子だと感じています。

 いつもにも増して、バタバタと過ぎていきそうな、2014年の上半期です。しかし、子育てを疎かにすることなく、また、いまやっている活動を蔑ろにすることなく、きちんと政策提言もできる活動をした上で、自治体の場所が違えど、再び政治の世界に身をおくことができるように邁進します。

 強く感じることは、この地域は、自治体の境目を人の境目にするのではなく、人の流れが自治体の枠を変えていくようになればとの願いです。文化や伝統、慣習などと同じく、まさに世界遺産登録されている熊野古道の伊勢路のように、1本の道に人が流れ、また、迎え入れるようでありたいと考えています。

 このようなわたくしですが、今後ともおつきあい願えたら幸甚です。また、これまで以上の、ご支援とご協力を、父娘ともどもよろしくお願いします。

 端無徹也

※この書き込みあたり、事前に法に触れないかを調べてもらったところ、この程度であれば抵触しないが、最終的に決めるのは所管する警察との意見をいただきました
by owase874 | 2014-01-07 00:51 | コラム「温故知新」

本音と現実

 選挙戦から半年が経ちました。

 敗因はすでに検証していますが、私は、4年後の尾鷲市議会議員選挙には挑戦しない考えです。もちろん、そういうことが言える立場ではありませんし、次のステップを踏み出すときが来ているとも感じてます。また、単純に考えても、さらに4年後を目指したとして、尾鷲市議を一からやり直すことに面倒さを感じていることもあります。さまざまな経験と体験をさせていただき、微力ながら、尾鷲市議会の改革にも関与させていただきました。しかし、現在の様子を見る限りでは、あまり機能していないようにも感じられます。市政についても、道の駅や砕石や環境や中心市街地や学校や防災や減災にしても、すり鉢をゴリゴリとしているだけのようにも感じられます。ため息が出るのです。

 自分がそのすり鉢のなかにいた頃は、「一生懸命やっているのに」と奢っていただけで、周りからは、つまり住民からは、無駄な労力を使っていただけにしか見えなかったのかも知れません。その立場になって、そのことがとても後悔しています。見せ方を間違っていたとも感じています。

 もともと、自分自身の中では、三重県議会議員が目標でした。それは、2004年の三重県豪雨災害で、海山町災害ボランティアセンターの副センター長に手を上げたとき、災害時にシステマチックに動けない人が多いことに愕然としたからです。次なる南海トラフの大地震と大津波を想像したとき、この地域は捨て置かれるんじゃないかと危惧したからです。当時は、災害ボランティアコーディネーターなんて言葉は、聞き慣れないものでしたし、災害ボランティアセンターの存在すらも認知度はほぼありませんでした。なので、災害ボランティアに対しては、地元住民は右往左往するだけでした。

 そこで、僕のような地域にとどまらない人間は、県議のように縦横無尽に活動できることが適当ではと考え、いまからでも準備をしておくために、まずは市民活動を率先することにしました。それで、尾鷲市に移住したのは言うまでもありませんが、苦労と苦悩は承知の上でした。このことを知っているのは、ほんの一握りの人たちだけです。

 しかし、想定と実際は違って、県議が市議となり、それはそれでよかったけれど、自分の中ではチグハグな気持ちもあしました。市民活動として県域の仕事をしながら、市議は言うても地域内のことが多いので、そのギャップや乖離に悩まされ続けました。これほどまでにかと考えるほどに、住民に直結しそうなことが、市町と県とではリンクしてないことが実際には多いのです。それは、市議と県議による議員間で繋げることがあるのに、やっていない面も多々あるのです。少なくとも、私が尾鷲市議に在籍している間では、県議との連携は皆無でした。その恩恵を受けられずに、困るのは常に市民であり、住民なのです。また、NPOや市民活動、防災や減災に知識が乏しい議員が多いのも事実です。答えは簡単で、そういうことに従事したことがない、知識が浅い議員が多いと感じるのです。これまでの人生や経験の積み重ねで、知ったふりができるだけであって、実践を伴っていない理屈は、どうにもこうにも薄っぺらいのです。

 かと言って、再び尾鷲市議会議員になることに、私は魅力を感じなくなっています。落下傘のようにやってきて、議員として極々小さなことしかできなかったけれど、だからこそ、尾鷲市民からの負託をもらえなかったのだし、それを受け止めるしかありません。しかし、ここで得たことは、何事にも変えがたいのも事実で、僕はそれなりに成長できたとは感じています。と同時に、どこまで尾鷲市民に還元できたのかを自問自答する日々を過ごしています。

 あと、県域のことで言えば、僕は防災や減災の面において、本気モードの調和と連携を模索していました。なので、本当は敬遠してきたことにも顔を出し、口を出し、率先して行動もしてきました。しかし、2011年の東日本大震災と、紀伊半島大水害の大きなギャップが、僕を原点回帰させる結果ともなりました。また、本音でやらない、検証をしないことからは、良い結果を生むはずがないとも感じるので、バッサリとあきらめて違う道を探すことにしています。それでも、災害が発生すれば、動く人が動き、やるべきことをやる人が、率先してやるだけなのです。少なくとも、僕はこの世界では無名でしかありませんが、違ったところでの認知度はあると感じるので、どうにでもなりそうなのです。

 これまで考えてきたことを、こうして文章に書き出すと、いまとなっては、どうでもいいことばかりだなとも感じます。僕に良さがあるとすれば、こうして書くことで、自身の浄化をさせているのかも知れません。大事なことは、こういうことを経験し、または教訓にし、次にどう進むかだと感じています。それが、2014年への抱負であり、次に述べる実現させたい夢になるのかも知れません。

 さて、今年もあと少しとなり、無給で仕事をしている市民活動全般だけでは、さすがに経済活動をしているとは言い難くなってきました。継続的に雇用を募集し、実際にも常勤雇用をしているので、他人に飯を食わせることもしていかなければなりません。すべてを放り出すこともしたくないので、精査した上で、僕は次に移行する考えをしています。その点で言えば、東紀州コミュニティデザイン、キタガワノホトリ(東紀州市民活動支援センター)、熊野レストレーション、NPO法人みえNPOネットワークセンターは、僕にとっては大事な拠り所であり、今後も手を休めることはしない考えです。しかし、立ち位置を変えなければとも感じているのも事実です。

 そのために、現時点では、熊野市に籍を移そうかなとも考えています。実際には、実家のある飛鳥町に原点回帰し、客観的な立場から、まずはキタガワノホトリの継続と運営を支援したいと考えています。現在、キタガワノホトリに関わる仲間とともに、地域資源の可能性を引き出す事業展開を進めています。これが成功すれば、キタガワノホトリの注目度は大きくなるし、雇用も引き続き生まれると想像しています。一方で、熊野市あたりにも、第二のキタガワノホトリを仕掛けたい気持ちです。すでに、リサーチもはじめていて、この指とまれに期待もしています。もちろん、そう言う声と人の集まりがあってこそですが、さてはてどうでしょう?

 そして、尾鷲市でやってきたのと同様に、その原資を捻出するために、政治家であることを目指したいとも考えています。それには、非常に限られた時間しかありませんが、僕はやはり政治の世界が好きだし、そこにも活動の場があると信じてやみません。僕にとっては、市民活動と議員活動は両輪であり、率先市民であることの証だと感じています。ただ、尾鷲とは違い、生まれ育った地元では、これまでのようにはいかないことも出てくるでしょう。同じことをしていてもダメなのです。もっと先を見据えて、その通過点として、僕は熊野市にも貢献したいと考えるようになってきています。もちろん、僕にとっては、自治体の境目を重視するよりかは、自由に往来できる人に着目することの方が大きいです。事実、熊野尾鷲道路が開通し、熊野市と尾鷲市は近くなりました。この距離は、やがては人と人との距離も縮まってくるものと考えています。

 こう考えるようになった理由ははっきりとあります。2011年の紀伊半島大水害です。生まれ育った地域が大きく被災し、慣れ親しんできた場所が無残にも失くなってしまう感情を味わったのです。これまで、多くの災害地、被災地を訪れましたが、感情移入することはできませんでした。あえてしなかったという面もありますが、故郷が被災したとき、突き動かされるものは半端ないものでした。誰に頼るまでもなく、自分自身でするしかなかったし、そうするためにとった行動で、意外にも仲間は全国に散らばっていることも実感しました。その後にできた熊野レストレーションが良い例で、この組織に求められることは、今後はもっと大きくなるだろうと感じています。ほっとけない存在になるためには、やはり率先して動くしかないのです。仲間とともにですが、実家近くに飛鳥熊レス村を立ち上げたのも、もちろん合議の上ではあるけれど、僕にとっては大きな覚悟の上でもあったのです。

 来年のことは鬼が笑うらしいですが、鬼と縁深い熊野なら、それも許してくれるかも知れません。まずは、自分の考えを整理しつつ、次への展開を進めるだけですが、活動の場を熊野市に移しても、私は私であるし、自治体には境はあっても、人には境目はないというのが信条です。政治の世界でも、それを実現できるように奔走するだけだと考えています。もちろん、そうなればだけど、先だっての熊野市長選挙の結果も、僕が動かされる原因となりました。まずは、妄想、そして想像、最後に創造で、モノゴトは成就するはずです。

 実現できないイメージはしないし、そうなるように、今後も手順を踏むしかありません。しかし、迷っている自分も、正直なところいます。やはり、両輪を支えあう仲間がいるのです。
by owase874 | 2013-12-21 00:22 | コラム「温故知新」

民意

 変わる可能性のあるまちと、変わりそうにないまちの違いは大きい。それは、5年後、10年後、30年後…に大きく響いてくるものです。それを左右するのが、政治であると私は考えています。だからこそ、その未来から、いま何をすべきか考えるのです。

 この日曜日は、県内各地で市町の首長選挙、市議選挙がありました。思うところがあるので注目していましたが、前評判通りに、伊勢市長選挙は圧勝でした。候補者の顔ぶれを見れば…ですが、同時選挙の市議選で、もっとも若い二期目の候補者が、かろうじて議席を守りました。政党色がなかったら…と、考えたところですが、伊勢市民の判断は、この2人の候補者をみても、若いだけではダメだという思いを感じたところです。

 もう一つ、注目していた紀北町長選挙ですが、バランスを保った形となりました。候補者の人徳は、知る限りは悪いことを聞いていませんでしたし、陰ながらの応援を頼まれたくらいです。しかし、年齢による所も大きかったでしょうし、目付役として新人の候補者を擁立していればと、考える結果となりました。

 もっとも注目していた熊野市長選挙は、多選を重ねる現職に、議会政治の不公平などを訴える新人との一騎打ちとなりました。下馬評では、圧倒的に不利と言われていたかも知れません。しかし、批判票がどれだけ入るのかと、これが注目でした。2011年の災害で、あるいはいまの防災や減災の対策で、あるいは、市中心部に偏りがちな施策の推進に、どれだけの批判があるのかと見ていました。

 結果としては、想像を超えるものでした。辛勝というべき現職勝利でしたが、今後の議会運営や市政運営にも、大きく影響することでしょう。また、そういう影響を与えていかなければ、来年4月の市議選挙には大きな番狂わせが起こることになるでしょう。やはり、どの選挙をみても、民意は反映されるものだと実感しました。しかし、その針の振れ幅や触れ方は、将来や未来に大きな影響を与えるのもですので、必ずしも民意が正義とはなりません。それは、過去のさまざまな選挙を見ても、民意の失敗と言える結果が証明しています。

 今回の選挙で感じたことは、擦り寄る者が得をする政治スタイルは、もう古いのです。そういうスタイルを継承する自治体は、きっと未来にツケを払うことになります。そこに民意が働くことからも、やはり市民の目線てのは大きいと言うことになります。また、それを先導したり、扇動したりするのが、政治家の役割かも知れません。手前味噌ですが、私自身がやっていることは、大きくは間違っていないなとも感じたところです。結果を伴えば、言うこと無いんですけどね…

 変わる自治体と、変わりそうにない自治体の色分けは、一番に市民が感じるそのままです。隣の芝生が青いと感じた人は、自分の庭に満足していない証拠です。しかし、手入れをするのが、そこに住まう人たちです。自分たちでするしか、何の解決もしないのです。
by owase874 | 2013-10-28 12:03 | コラム「温故知新」

軋轢とケジメと…なんだろうね

 今日、ひとつの大きな決断をしました。
 その決断は、つまりはこの場で発表したに過ぎませんが…

 同様に、市民活動の面においても、一つの結果が出ました。
 尾鷲イタダキ市についてですが、あくまで事務局を委託した立場です。
 しかし、それだけでは収まらないことがあったのも事実で…

 この件についてはとやかくは言いませんが、事実を曲げられるのだけは、どうしても納得しかねます。批判ならまだしも、非難されることについては、これまでも全否定をしてきました。それでも、聞き入れられないこともありますし、そうすることで、ほかの何かが丸く収まることもあるのも事実です。しかし、私も人の子ですから、この一連の件で非難されるのは、そろそろ終わりにしていただきたいと感じています。
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 私が、いまなお関係者の方から非難される原因が、この文書にあります。この文書は、矢ノ川上流における新規採石業者に対する意見書を、当時の尾鷲漁協共同組合様より、当時の市議会議員に宛てて送付されたものです。添付した資料は、そのときの私の回答になります。

 とくに、この文章中の、「海や魚に関係する方についても、市場付近でタバコやごみを海に投げ捨てるのを見ていますし、放尿している場面も見たことがあります」が、逆鱗に触れたと言われています。事実と異なることを文書にしていると、大きな怒りをかったわけですが、これが当時の漁協職員を名指ししたのではありません。もちろん、個人を特定するような文言もありませんが、この文言がひとり歩きしているには違いありません。しかし、私は幻を見たのかもしれませんが、嘘を書いたつもりもありません。

 それ以上に、この文書が確かにセンセーショナルであることは、言い過ぎたと反省も後悔もしていますが、本当に言いたかったとは、関係者への非難ではなく、その前後の文章にしたためたつもりです。幾度となく、その真意を伝えようともしましたが、うまく実現できないまま、時間だけが過ぎている現状です。それ以上に、尾ヒレがついた話が先行し、いまにいたっています。

 しかし、本来の私の主張は、「尾鷲湾を汚しているのは、採石業者だけでなく、私たちの生活排水も大いに関係しています。その根本の解決もできておりません。…中略…私を含め、尾鷲市民として、川や海に対しての意識向上が求められているのではと、考えるところがあります。以上のことから、「海を守る」ということに着眼するのであれば、新規採石業者だけで判断することには抵抗があります。ただし、これらの議論となるきっかけになればとも考えておりますので、尾鷲市の課題として、皆さんとも一緒になって考えていきたい所存です。よろしくお願いします。」が全てです。

 私の過去の発言や、このブログを見てもらえばわかるように、採石に対する私の考えは、先の賀田における一連の発言やブログでも明らかです。また、尾鷲漁協共同組合の現状を訴える内容においても、さらなる近代化や、現市長が魚を売り出す前にやるべきことがほかにもたくさんあるとの発言や、このブログを見ていただいてもおわかりかと感じます。漁協に対しての発言は、養護する立場であっても、批判は一切してきていないつもりです。

 尾鷲に来て間もない頃、私は朝の市場に行くのが楽しみでした。何よりの活気があり、いままで見たことないような海産物を目の当たりにし、たくさんの魚を知るキッカケにもなりました。やがて、漁協に出入りしている業者さんのアドバイスもいただき、長靴を用意して出かけるまでになりました。この頃には、すでに現市長は足を運んでいましたが(当時は市民のひとりでしたが)、私と現市長の関係は、特に濃いものでもなにもありません。議会で対峙するようになってからは、どちらかと言えば、折り合いが合わない市長と議員だったはずです。

 本題からそれましたが、私が漁協本体や特定の関係者に軋轢があるというのは、私のこの発言が大きくひとり歩きしているに過ぎず、真意はまた違ったところにあるのは明らかです。しかし、そうすることで収まりが良いとみる向きもあるようで、ここに話が飛躍する原因となっています。言ったこと(書いたこと)は事実ですが、それ以上もそれ以下もありません。これが言いたかったことではありません。

 しかし、今回の市議選においても、この一件が大きく影響していたのは明らかですし、多くの方より、この件について助言や意見をいただきました。そのなかの一つに、尾鷲イタダキ市が出てくるのです。しかし、本意でない部分も確かにありますが、大きな決断とケジメをつけることで、一連の出来事を終わりにしたい考えです。

 幾度となく、橋渡しを試みたり、直接的な行動もしましたが、かなわないまま、このような形となりましたので、勝手なことではありますが、ここに記録として残しておきます。もしも、このブログを読んでいただいて、真実がどこにあるのかを理解していただき、それがきちんと相手側に伝われば本望です。いま言われているほとんどは、程度の低い嘘に過ぎません。

 僕は、このまちが好きです。もちろん、このまちで売り買いされる魚も大好きです。しかし、少々疲れました。疑心暗鬼になり、裏の裏を読み解くようなことに時間や神経を取られるよりは、ストレートに、良い物は良い、悪いことは悪いと、啖呵きって言える方がなによりも自分らしいです。この件で、尾鷲イタダキ市にも影響を与えたことは、私にはかなり堪えました。しかし、真っ当にやっている者が損をする世の中では、絶対にダメだとも感じています。

 そういった意味では、私の肩の荷は、どんどんと楽になっています。
by owase874 | 2013-09-26 00:26 | コラム「温故知新」

はなし徹也後援会との懇談会

 昨日の夜、はなし徹也後援会のスタッフが集まりました。

 主には、今回の選挙戦で、選挙スタッフとして奔走してくれたスタッフが中心でした。3時間ほどの時間をかけて言葉を交わしましたが、私にとっても有意義な時間になりました。しかし、スタッフの皆さんには、私の不徳のいたすところで、非常に悔しい思いをさせてしまったので、ここまで考えていてくれたことに対して、さらに後悔をしてしまいました。

 詳しい話の内容は、今日のところは控えますが、前回は、私を除いて反省会などをしてくれていたので、昨日はそのまとめた結果について、私から意見を言わせていただきました。

 私から言わせていただいたことをまとめると、いまの時点では、4年後に尾鷲市議を目指すことは考えていない。しかし、自分が尾鷲市議をやらせていただいて、政治の世界に身をおくことの必要性は強く感じている。それは、いまなお消えることがないので、やはり政治をする人として、これからもやっていきたいと考えている。なので、求められれば、その求められた先に、私は行きたい。それは、尾鷲には限らない。でした。

 反省会の意見では、来期の挑戦を求められてもいたので、ガッカリさせた面もあるかも知れません。しかし、今回の結果は、結果として受け止めてはいますが、落ちるわけにはいかなかった選挙でした。候補者にとっては、誰しもそうなのですが、私自身が、尾鷲市議を3期と考えていたことや(議会解散がなければ、2期がそもそもの考えでした)、これをバネに次なる挑戦を模索していたこともありました。それが、潰えたとまでは言わなくとも、大きく後退したことには違いありません。

 なによりも、結果としては、大半の尾鷲市民からNOを突きつけらたのです。このことを考えると、もちろん、私に1票を負託してくれた有権者の皆さまには、死に票にしてしまったお詫びはありますが、全体を見ればNOが多いのが現実です。それは、私自身が訴えてきたことや、これまでの活動が評価されなかったことになるので、そこからもう一度、認知度や理解を求めていくには、私自身の踏ん張りだけでは成し得ないとも言わせていただきました。

 要するに、少なくとも、ここに集まった後援会スタッフの皆さんにも、いま以上の支援と協力が必要と言うことになります。やはり、組織がバックアップしてこその政治家であるので、そこに柵がないとも言えないけれど、昨日集まってくれたスタッフの顔ぶれは、どこかの企業の社長でもなければ、有力な有権者とも違います。まさに、普通の市民として生活している人たちばかりなので、政治家を支えるには、マンパワーも市民力も必要となってきます。その覚悟があるのか?と言うことにもなるので、すぐには答えがでないのも当然です。

 また、私自身が、来年の3月までは、尾鷲に籍をおくことを明言したので、それまでに双方ができることを精査し合い、もう一度、考えを共有する期間を持たせることになりました。4月以降については、まったくの白紙となりますが、その間になにかが起これば、私も態度をあらためて考えなければなりません。もちろん、私にも生活があり、子育ては一番大事なことであるので、子どものことを最優先に考えていくことにも違いはありません。

 このような集まりは、今日限りで終わりではなく、今後も定期的に続けていくことになりました。どのような形になるかはわかりませんが、後援会スタッフが段取りをしてくれることでしょう。やはり、市民が先に動いて、政治活動へ繋がりますので、私のスタイルでは、両輪であることが必要です。それを、来年の3月までに考えながら、必要とされた場合には、なにかしらの手段を講じるかも知れません。

 本当に、私の不徳のいたすところで、申しわけありませんでした。
by owase874 | 2013-07-13 01:50 | コラム「温故知新」

雨のせいか?

 いつも、雨が降ると足を運びます。

 意見はいろいろありますが、私は自然環境を守っていくとが、この地域に残された最後の手段と感じています。あっちでは賛成だけど、こっちでは反対とか、柵によってはどっちでもみたいなことでは、この地域は立ち行かなくなります。だからこそ、変わんないんじゃないかな。
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キレイな方です


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ここまで来ると


 今日の汚濁の原因は、道の駅の予定地あたりです。その付近には、沈砂池がありますが、これより下流域がドロドロです。道路脇からよく見えるので、対策されているのかが疑わしくなります。もしも、道の駅が滞りなくこの辺りにできたら、きっちり改善されるのでしょうか?

 新規には絶対NOでも、既存には??ってのも理解できかねます。また、道の駅の建設予定地(候補地)として考えれば、雨が降る毎にこれでは、なにを目指しているのかも疑問です。私は、賀田でもそうでしたが、改善する手立てと術があると感じています。しかし、柵や上辺だけの意見が、大きく邪魔をします。本音と建前はよくある話ですが、本質が見抜けないのは、一番いけないことです。

 改善できなければ、それはNOです。自然環境の視点で言えば、いかに商工業の発展と折り合いを付けるかです。いまでも私は、尾鷲湾を見渡したときに、汚染の原因は一つではないと考えています。未来に残せるものがあるとすれば、やはりこの地域の自然しかないように感じます。それさえあれば、ほかは自然についてくるのではないでしょうか?

 そうやって、この地域は恩恵を受けてきたはずです。
by owase874 | 2013-06-26 13:41 | コラム「温故知新」

近況

 空梅雨なのに、湿気だけはありますね。

 しばし休息中の私ですが、市政のことは気になります。しかし、それ以上でもそれ以下でもないのが正直な所で、いまの市政に対してなにかを言える立場ではありません。もちろん、いち市民として感じることはあるので、そのうち書くかも知れません。だって、それが私ですよね。

 選挙スタッフと、私との懇談は、来月の中頃に設定されました。先だって、日程調整を打診されましたが、そこまではまな板の鯉だと決めています。なので、その後は全くの白紙で、いまはニートのような生活をしています。しかし、市民活動をやめているわけではないので、あちこちとお金にはなっていないことをやっています。それはそれで考えものですが、率先する市民であることは、私の誇りでもあります。

 尾鷲市民がとった選択を、私は受け入れるしかありません。それは、何を言おうと民意ですし、私に負託を期待してくれた少なくともあの票は、「死に票にしてしもたな」と言われて当然です。しかし、だからと言って、動くことをやめてしまうのは、それはちょっと違うと思います。私自身も、落胆や後悔はありますが、それでも前に進むべきで、いまはできることをやっています。ただ、このまちにとって必要かどうかは、一つの結果が出ているので、その後を考えるに値します。それも、来月には結果を出します。

 自分には、安住の地はまだ見つかっていないのかも知れません。これまで、出身地の熊野市飛鳥町、東大阪市、旧海山町相賀、旧海山町上里、御浜町上市木、そして、尾鷲市と渡って来ました。約20年で5ヶ所なので、単純に4年に一度は住む場所が変わっています。それでも、尾鷲での8年は、熊野での20年についで長いので、やはり愛着はあります。ここに来た意味を回想しながら、次の手立てを考えるとします。

 当たり前ですが、肩書きを失っても、生活はあります。いまは娘を育てる立場ですので、このままが続くことはありえません。しかも、市民活動の立場で2名を雇用しているので、ともに次の手立てを考えていく必要もあります。いよいよ、本当の正念場だと腹をくくっています。それは、スタッフにとっても同じ気持でしょう。かと言って、ここで全てを白紙にしてしまえば、この地域における私の存在意義までなくなってしまいます。私は、役割と使命感でここにいるのです。

 そういった意味では、面白くなって来ました。本当に、考えるときが来ているのでです。いま以上に考えをめぐらし、慎ましくも生きていく手法を勝ち取らなくてはなりません。もちろん、スタッフの生活もあるので、放り出すわけにはいきません。

 強烈な取捨選択が、そこまで来ています。
by owase874 | 2013-06-24 22:33 | コラム「温故知新」

今後について

 なんて顔したらいいのか悩みますが、今後をよく聞かれます。

 ひとり者ではなく、娘もいるので、よけいに心配をかけています。なによりその娘の方が心配、と言う声もあるようですが、大丈夫、父娘2人には代わりはありません。もちろん、それが3人になる目処も、いまはありません。

 その今後ですが、選挙スタッフと、顔の見える支持をいただいた方に、1.選挙戦の反省をしてもらいたい2.候補者であった僕への提言をしてほしい(反省を促すことも含めて)3.今後の端無について、どうすればいいのかをアドバイスしてほしい。以上、この3つをお願いしてあります。しかるべき近い日に、集まって会合を開くようです。もちろん、関わってくれる方は、誰でも参加可能とのことですが、私自身は参加しません。なお、私の支持をしたことが前提のようです。

 そのあとで、私との反省会と展望会を開催します。双方のすり合わせをして、今後を決めようとなっています。6月中には、答えがでるかも知れません。あとは、僕次第になりますが、このまま4年後の市議選を目指すのか、はたまた市長選に向かうのか、それとも県議選で広く訴えを聞いてもらうか…熊野での出直しも、他所での出直しにも、ありがたいことに声をいただいています。しかし、私自身はまったくの白紙で、いまはまな板の鯉です。もう一度、言っておきますが、まったくの白紙です。

 当然ですが、そんなこと言える立場ではありません。少なくとも、自分のやり方を通しての結果ですから、進退をあずけることも、意見をよく聞くことも必要だと感じています。そうでなければ、同じ轍を踏んでしまいます。4年というスパンで考えると、あらためて長い時間ですが、いまは決断する時期ではありません。スタッフを信じて、しかるべき判断をしたいと考えています。しかし、それを考えてくれるスタッフには、最後の最後まで感謝しきりです。

 さて、どうなりますことやら。
by owase874 | 2013-06-13 15:06 | コラム「温故知新」


市民活動の延長線上に、市民目線の政治があると考えています。


by kumano874

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ご挨拶とブログの概要

当ブログに来ていただきありがとうございます。私が政治に関心をもったのは、災害現場でボランティアとして活動しているときに、どうしても市民活動・NPO活動だけでは届かない声があると感じてからです。1995年の、阪神淡路大震災のときです。それ以降、政策提言できる市民活動を合言葉に、さまざまなことを実践しています(市民派向けのブログもあります。こちらCafe_CReAM モノ語り)。


これまでの思いが実現したのが、2006年11月から、2期6年半在職した尾鷲市議会議員でした。3期目の挑戦には苦杯しましたが、貴重な実体験をさせていただき、条例の制定を中心にした議会改革や、市民活動で培った政策提言を直接できる立場として、負託の重さを実感することができました。

また、尾鷲市議として負託をいただいてからは、この地域ではいち早く、議員活動をお知らせする手段の一つとして、このブログを活用しました。当時のことも含め、日々私が何を感じ、何を考えているかを綴る活動報告にもなっています。なお、2014年5月1日からは、三重県熊野市議会議員として、あらたな1歩を踏み出します。

ときには辛口の意見もありますが、東紀州における公益や市民益を考える一人の意見として読んでいただければ幸いです。

質問や批評など、ご意見がございましたら、下記宛にお願いします。何かしらの方法で、きちんと対応させていただきます。ただし、ブログのコメントには、できる限り返答をいたしますが、端無自身の裁量になることをお許し下さい。

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