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公共施設のあるべき姿~津波を想定して~

 予算決算常任委員会の審査が11日から始まりました。

 折しも、東日本大震災から2年が経過し、地震発生時間の14時46分には、広域行政放送のサイレンにしたがって、委員会を中断して黙祷しました。思い起こせば、2年前のこの時間も、私はこの席にいて、生活文教常任委員会の審査をしていたときでした。

 ちょうど、尾鷲小学校の耐震改修工事の審査中で、私は、「小学校は地震対策ができているのか?」との質問を市長にしているときでした。この頃は、学校の津波対策は二の次で、私は想定内をよしとせず、尾鷲小学校も危険地域だと訴え続けていました。結果としては、なんの考慮もされずに、耐震改修工事がはじまってしまい、私は関連するほとんどの議案に反対をすることになりました。尾鷲小学校の校庭は海抜7メートルほどで、新築される校舎については、津波対策はされないままの設計となりました。あの頃、訴える私は失笑をかっていましたが、いまでは誰もが懸念する事態となっています。

 その後の尾鷲小学校は、いまの校舎を見ても明らかですが、やはり、津波対策を考慮した設計にすべきでした。幸いにして、尾鷲小学校の学校防災教育では、いち早く逃げることを重点において訓練されるようになりましたが、東日本大震災後に想定された南海トラフの地震と津波では、校舎が津波で被災する可能性が一段と大きくなっています。新校舎よりもさらに低い位置にある体育館もですが、公共施設が津波の被害を受けるということは、その後の復興にも大きく影響します。もっと言えば、発災直後から外部支援が始まる数日間、公共施設が使えないのは大きな痛手です。尾鷲市街には、避難者を収容する建物自体が少ないため、生き延びた人が、さらに過酷な数日間を過ごす可能性が大きいのです。それは、まさに生死を分けてしまうのです。

 それと同等のことが、各地域でも起こりうる想定のなか、公共施設のあり方が、東日本大震災後には大きくクローズアップされています。私自身も、個人的にも支援をしている岩手県下閉伊郡山田町を視察したとき、「ここだけは見ておいてほしい」と、ある集落を案内されました。その集落は、津波で壊滅し、公共施設の公民館に避難した全員が、建物ごと津波に流された場所でした。確か、高台の自宅に避難していた人だけが、生き残ったということでした。同じ高台にいた住民が、そこより低い公民館に身を寄せたために、被害を受けたとの話は痛ましい限りでした。警察関係者が遺体の捜索をしているなかでしたが、公民館の跡地は6-10メートル近くあったと記憶しています。そこまで津波が押し寄せるとは、まさに想定外のことが起こったのです。

 特筆すべきことは、公民館という公共施設に、住民が身を寄せたことです。それが、集落ごとなくなってしまう結果を招くとは、誰も想像だにしなかったことでしょう。しかし、こうして実際に起った現場に立ったとき、「公共施設は津波の想定区域にあってはだめだ」と、心底感じたのです。また、山田町を視察したとき、防災センターと書かれた公共施設が、津波で激しく被災していたのも見かけました。これでは、防災はなんのためにあるのかと、自問自答したものです。だから、私は、尾鷲市が進めようとする公共施設の建設には、津波対策を訴え続けるのが使命だと、強く信念を持っているのです。

 しかしながら、どうしても津波想定域に設置しなければならないことも起こります。尾鷲市においては、輪内中学校が筆頭でしたが、ここは予定を変更して嵩上げし、しかも2階から避難路となる高台に逃げられる通路も設置しました。また、校舎自体も堅牢にし、津波を受けても倒壊しない、その後の機能回復も見越した設計に変更されて進められています。同じく、宮之上小学校においても、詳しい内容は聞けずじまいですが、津波対策は万全を期しているとのことです。また、宮之上小学校は、北川沿いにあり、校庭の海抜は7メートル半です。ここについても、以前より津波の被災の可能性を訴えていましたが、当時の学校関係者からは非難を浴び、抗議を受けたこともありました。いまとなっては、懐かしい記憶ですが、東日本大震災を教訓にするということは、このように実践的に対応していくことだと感じています。

 ただ、そうはならない公共施設も、この尾鷲市にはあります。

 地域住民の意向ということで、津波想定区域に、2階建ての木造を主体としたコミュニティセンターの建設が進められています。ここでの想定は10メートル以上、2階建ての屋根までは10メートルそこそこです。構造が木造主体になったのは、補助金の出る条件が、木を使う構造であることでした。当時の担当課からの説明では、東日本大震災前の補助決定であり、その後も問題なく助成されるに至っているとのことでした。地域住民についても、「津波の際は、ここには逃げない。高台避難する。しかし、日常的に住民が集まれるこの場所に、コミュニティセンターがほしい」との意向でした。それだけで、市長も建設にGOサインを出したのでした。最終的に予算を認めたのは、議会も然りです。

 非常に難しい問題だと感じています。なにも、尾鷲市に限ったことではなく、東日本大震災後の東北地方沿岸部でも、似たような憤りと現実が課題にもなっています。私は、この件で激しく反論しているために、この地域住民からは敬遠されています。当時と同じく、辛辣に非難もされています。いち議員として、それは受け止めるしか無いのだけど、あの惨状をこの目で見た来た以上は、公共施設のあり方を訴え続けなければと感じるのです。津波の被害を受けることを承知しながら、地区唯一の公共施設をあの場所に設置するには、どうしても憤りがあるのです。

 この地区は、70%を超える高齢化が進み、すでに161名(97世帯)ほどの人口になっています。それだけに、日常的な利便性を取ったことも理解はできるのですが、地区より当初に要望されていた小学校跡地に、建設が進んでいる公共施設があったならばと、いまでも考えることがあります。歩くには遠い高台ですが、ある程度の敷地面積があり、被災を受けても地区住民が寄り添える公共施設になったことでしょう。そのために、当時の仮設橋を強固にし、車が入れるように整備をしてきたことも、いまでは忘れられてしまっています。もう元には戻りませんし、想定が想定に留まることを祈るばかりですが、この一件により、現市長の防災に対する見方に落胆したのは言うまでもありません。

■早田コミュニティセンター建設工事について(公告)
 http://www.city.owase.lg.jp/contents_detail.php?frmId=8451

 余談ですが、建設費は7千万円を超えています。新規のコミュニティセンターがこの価格ということで、他にも整備を待っている地区にとっては、「(建設が)後回しになったこともあるし、同等の投資をして然りだろう」との声も聞きます。現市長の説明では、「津波の対策を今後は万全にする」とのことですが、コミュニティセンターの在り方自体も、同様に問うていかなければと考えています。

 さらに余談ですが、これまでのやり取りのなかで、この地区の在住であることを、実名を名乗って連絡をくれた方がいました。その方は、「地区が一眼となっているから、はばかって言えないが、せめて孫がいる××(地区名)の××(公共施設名)だけは、津波の被害に合わないように考えてほしい。それだけは、叶えたって欲しい」とのことでした。やはり、私という存在がやらなければならない使命が、ここにあるのだと感じた出来事でした。小さく少ないとはいえ、声なき声を訴えていくことが、これまでの、これからの、私の役割であると考えています。
by owase874 | 2013-03-13 02:43 | 防災とまちづくり

エリアワンセグでの行政放送について

 総務産業常任委員会の審査内容とは違いますが、事業説明を受けたなかで、私が気になったことは、防災危機管理室の新規事業である、エリアワンセグの整備です。多額の整備費などで、一般質問でも話題に上がっていました。

 エリアワンセグは、平成22年に、総務省がホワイトスペース特区を置いて、全国25箇所で実証実験を行なっています。その後の発展形も含め、災害時に有効な情報伝達手段として、東日本大震災後は、石巻での実証試験や、南相馬市での正式放送開始など、今後も地方自治体で整備がされていくであろう新技術になります。また、民間利用も進んでおり、羽田空港では、独自の技術ですでに実用化が始まっています。また、各携帯電話会社も、試験放送や実証試験を行なっている段階で、早いうちにサービスが開始される見込みです。

■総務省|「ホワイトスペース特区」の決定
 http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban09_01000025.html

 そもそもエリアワンセグとは、携帯電話やスマホなどで見られるTV放送を、地域限定で情報発信・受信できるサービスのことです。小さな単位での情報伝達が可能となるので、コミュニティFMのTV放送版とでもいったところです。つまりは、音声と映像が、身近な端末で受信できるサービスです。尾鷲市では、これを防災無線の進化形として整備し、一家に一台、一人に1台くらいの勢いで、今後も整備をしていこうと考えています(ちょっと大げさな表現ですが…)。確かに、聞きづらい現状の広域放送や、設置した部屋でいないとわからない戸別受信機よりは、エリアワンセグが秘める可能性は大きいと想像できます。

 しかし、デメリットもあって、私はここに注目しています。

 現状の説明では、あたかも戸別受信機に変わる救世主のような言い回しを市長はしていますが、ワンセグ技術の応用であるので、画面は小さいほどよく見えますが、7インチ以上では見づらくなってしまいます。いまのデジタル放送は、フルセグと言われる技術ですので、50インチでも100インチでも、綺麗な映像が見られますが、ワンセグは限定的な技術ですので、家のTVで見ることはできません。なので、将来的には、別途受信端末を購入するか、尾鷲市が負担して全世帯に配布するかになるのです。もちろん、携帯電話をはじめ、ワンセグが受信できる端末を持っていれば、チャンネルの切り替えで放送を見ることもできます。しかし、そのチャンネルに合わせないと見られないので、尾鷲市では、独自の専用端末も試作しているとのことです。

 次に、バッテリーの問題です。皆さんも経験あるでしょうが、携帯電話でTV放送を見ると、すぐにバッテリーが消耗してしまいますね。市の説明では、受信端末を持って避難すれば、高台にいながらでも、その後の情報は滞りなく受信できるとありましたが、はたしてバッテリーのことを考えているのかと感じました。現状のバッテリー技術を考えると、私には疑問があります。この点について、東日本大震災で参考になる記事があるので、紹介しておきます。

■【震災、そのとき情報通信は(1)】想定外の72時間、停電で携帯電話は使えなくなった
 http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110513/191754/

■【震災、そのとき情報通信は(2)】ワンセグは電池切れで使えず、ラジオも途切れた
 http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110522/191991/

■通信インフラの壊滅した避難所にインターネットを
 http://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/20110311/20110530_449305.html

 ただし、エリアワンセグについては、可能性と手段で考えると、尾鷲市の目指している取り組みは有益です。市の説明にも、一定量の納得はできていますが、デメリットもきちんと提示した上で、今後の整備については考えるべきだと感じます。ゆえに、バッテリーの課題は、意外にも大きいと思いますし、専用端末の整備にも、大きな課題が残ります。

 一方、エリアワンセグで、尾鷲市が先進的であるという部分は、4.9GHz帯の無線LANを使用している点です(この周波数帯については、以前のブログに記載しています)。エリアワンセグの電波を、この周波数帯に変調し、無線LANで放送を受信する仕組みを採用しています。この技術を自治体規模で採用しているのは、恐らく尾鷲市だけだと思いますが、それだけ新技術への課題もあるでしょう。そこまでしてやるという気概も理解できるし、多額の資金投入をしてまで、いま絶対に必要かとの問いにもうなずけます。市の説明では、国からの金銭的な支援もあるとのことですが、それでも相応分の負担は必要ですし、本当に有事の際に、張り巡らせた送信網が、きちんと機能するかの保証はどこにもありません。

 私としては、整備への理解をしつつも、新技術へのリスクは大きいのではないか?自治体規模でやるには、ちょっとした博打になるのではないか?などと、及び腰にもなってしまいます。また、これも仕方がないとは感じていますが、市民目線で考えると、これら全ての事業が、特定の事業者でしか取り扱えないとなることにも懸念はあります。つまりは、何をするにも、入札ではなく随契になってしまう点です。尾鷲市は、新技術や特定技術の採用が目立ち、その後に困ることが発生し、議論が紛糾する土壌があるからです。この負の連鎖を、どこかで区切りをつけなければ、大きなツケが市民に回ることになってしまいます。

 詳しくは、予算を審査する予算決算常任委員会で、再び取り上げたいと考えています。

※追記
 予算決算常任委員会での審査で、この事業における機器などの購入については、入札方式であることが報告されました。事業の整備自体も、汎用性ある機器を使うとのことで、入札になるとのことでした。少し憶測で意見を述べてしまいましたが、入札ならば単価が下がる可能性が高いので、今後の整備にも弾みが付きそうです。
by owase874 | 2013-03-09 01:01 | 防災とまちづくり

道の駅と防災機能について、尾鷲市の場合を考える

 道の駅の話題の中に、防災機能が必ず出てきます。

 根拠としては、東日本大震災の際に、道の駅が救援活動の拠点になったり、被災した住民の避難場所になったりしたからですが、これまでにも、災害時に道の駅が果たした役割が大きかったからです。いまでは、防災機能を持たせることが、道の駅設置の必須条件にもなっています。

 これ自体に私も異論はなく、広い場所と24時間トイレ、休憩所や物販施設などが集約されている場所である以上、災害時、緊急時の想定はあって然りです。ただし、尾鷲市が構想している現状での道の駅では、防災機能を全面に出すほどの理由が見つからないのが私の考えです。

 まず第一に、市街地から遠すぎるです。

 道の駅自体は、遠くにあっても構わないのですが、尾鷲市の災害と被災を考えた場合、現状の尾鷲南IC付近では、効率的な防災拠点にはなりえません。市長からも、防災拠点とよく説明を受けますが、尾鷲市における防災拠点は、市街地になければ話になりません。理由としては、南海トラフの地震と津波を想定したとき、尾鷲市街地が受ける被害は、人的なことを考慮しないとしても、多くの建物が津波で破壊され、尾鷲市役所自体も、老朽化から倒壊する恐れがあります。その救援と復興を考えても、市街地に防災拠点があるべきです。また、人的な被害も免れないので、尾鷲総合病院や尾鷲消防署が近い位置にあることが、必須条件とも言えるでしょう。

 先の12月定例会の一般質問で、私が市長に問うた小原野一帯の防災拠点化は、なにも私が最初の言い出しっぺではなく、尾鷲市自体も想定しているシナリオです。私は、いまはくろしお学園が入っている旧尾鷲工業高校が、仮りの尾鷲市役所庁舎になりうる可能性もあると考えるし、広大なグランドそばには、3機が駐機できるヘリポートもあります。ここから、小原野に橋を渡せば、広大な高台である小原野の価値も見直されるはずです。しかも、この小原野には、尾鷲北ICと、尾鷲南ICをつなぐ高速道路が通るとも言われています。

 事前復興のことも、市長は口にするようになっていますが、整備された耐震岸壁から小原野までの命のラインを、事前復興の手がかりとして整備していくことこそが、いまやるべき施策だとも考えています。この命のラインとは、救援支援の櫛の歯となるこの動線上場に、耐震岸壁、尾鷲市役所、尾鷲総合病院、おととやコメリなどがる商業施設、尾鷲高校、旧尾鷲工業高校、ヘリポート、小原野があるからです。このことからも、尾鷲北ICと、尾鷲南ICをつなぐ高速道路の早期着工は、尾鷲市の防災を考える上でも、重要施策になりえるのではないでしょうか?

 次に、現在の道の駅では、輪内方面の利用には無理がある。です。

 尾鷲南IC付近に道の駅があれば、例えば三木里側からトンネルを越えて、災害時には利用者が集まるとも言われています。しかし、5-6kmもある道のりを目指すよりかは、三木里IC付近の高台に、周辺地域の防災拠点をつくるべきではないでしょうか?同様に、賀田にもICができるので、ここにも防災拠点は必要です。このような構想を立て、新鹿ICにも防災拠点が構築されれば、新鹿町から飛鳥町に抜ける八丁坂峠の整備を実現させたとして、支援のラインは、関西方面からも伸びる可能性があるのです。支援のラインは、なにも三重県北部からだけではないので、関西からの支援も考える必要があるはずです。そのために、尾鷲から下北山村に抜ける国道425号の整備も言われているところです。

 なにも、防災拠点は一つでなくていいはずですし、尾鷲市で考える場合は、尾鷲市街地に防災拠点の本部を置き、各ICにサテライトのような支援の拠点を構築することが効率的だとも言えます。それをつなぐのが、現在整備されている高速道路となるわけです。そう考えていくと、現状の道の駅には、防災拠点を声高にする必要性がなくなってしまいます。仮に、道の駅を尾鷲南IC付近に設置したとしても、防災拠点を根拠に、物販があの規模でいるとはならないでしょう。国道42号線を通過する自動車とその同乗者のために、防災機能を持った道の駅が必要とは言っても、なにも現状の場所でなくても事足りような気がします。

 道の駅に防災機能があるのはいいことです。しかし、現状の尾鷲南IC付近を想定し、これを根拠に整備するには疑問があります。尾鷲市のように、市街地と市街地南部との立地を考えると、それぞれに防災拠点は必要でしょうし、性急にことを進めて大金を投入するよりは、整備が偏り遅れている各地のコミュニティセンターを、耐震があり、津波後にも機能する立地と構想で、1日も早くに整備するべきです。私が、東日本大震災後の山田町を視察させていただいたとき、ある地域の集会所に避難した全員が、建物ごと津波に押し流された現場を見せられました。その場所ですら、高台と認識され、そのために集まってきた住民が、拠り所となる公共施設で亡くなったことを想像すれば、尾鷲市が同じ轍を踏むことは許されません。

 軽々しくではないでしょうが、現状の道の駅が、尾鷲市の防災拠点であるかのような発言と根拠だてには、正直に言って怒りすら覚えてしまいます。命というのは、これまでの教訓を元に、さらなる向上と手はずを目指すべきです。 また、教訓とは、そういうことではないでしょうか?
by owase874 | 2013-02-21 12:53 | 防災とまちづくり

尾鷲市に必要なことは、防災拠点の整備と推進

 12月定例会の一般質問で、地域防災計画に絡めた防災拠点の話もしました。政策提言することが、議員としての仕事のひとつと考えているからです。また、防災拠点の話題は、道の駅の整備で頻繁に言われるようになったこともあります。しかし、いまの尾鷲市の方向性は、道の駅=防災拠点となっており、これでは防災の観点からみても、少々無理くり過ぎやしないかと考えてしまいます。

 道の駅については、次の話題としますが、防災拠点というのは、災害が起こる前よりかは、災害が発生したあとに重要になる施設や建物、場所を意味する拠点です。それを道の駅に集約してしまってはいかがなものかと、まず最初に感じます。それは、道の駅自体の防災拠点構想に反対するのではなく、立地場所が大きく間違っているのではと感じるのです。

 道の駅が想定されている尾鷲南IC付近は、あまりも人家から離れています。また、まちの様子もうかがい知ることができません。さらに、上下水道の課題もあるば、採石場となっている場所では、地震による崩落の危険性もリスクが高いはずです。また、現状では、ヘリポートも整備されていないし、防災拠点とは名ばかりに感じてしまいます。

 そこで、私が提言した防災拠点は、都市マスタープランにも紹介されていた、小原野周辺の整備を視野に入れています。すでに、中川を挟んだ旧尾鷲工業高校が、県の防災拠点として整備されています。グラウンドの一画には、3機が駐機できるヘリポートも整備されています。ここに至るまでの道路についても、国道42号線から整備がされています。あとは、旧尾鷲工業高校周辺から、小原野周辺まで架橋されれば、建物と広大な土地を伴った大規模な防災拠点になるはずです。

 いまの道の駅の整備は進めたとしても、コンサルが提案したような夢のような起死回生プランにするのではなく、基本的な施設に留めればいいのではなかいと考えています。尾鷲市が必要とする防災拠点は、高台移転も視野に入れた、数千人規模の人命が救える拠点を整備するべきではないでしょうか?道の駅では、派遣された場合の自衛隊の駐屯にも想定されていましたが、小原野や旧尾鷲工業高校周辺を想定すると、陸と空の支援が円滑に行われると想像できます。今後、道路の整備を海岸まで進めれば、この防災拠点から耐震岸壁まで、一筆書きに命の道が確保されることになります。また、その中間には、尾鷲総合病院もあるのです。

 防災を考えるとき、とくに有事の際は、欲張りになんでも達成できる利便性を追求するべきです。救援する車輌や人が、あっちこっちと移動するリスクと時間を回避し、同線上にさまざまな施設や関係先を取り込んでいけるほうがベストです。将来的には、尾鷲市役所や尾鷲消防署は、高台移転も視野に入れて、この防災拠点の同線上に整備すべきでしょう。防災を率先している自治体を見ても、公共施設の高台移転は、東日本大震災の教訓を組み入れて主流となっています。私は、旧尾鷲工業高校が、その候補地になりえるのではないかとも考えています。

 小原野周辺の整備についても、尾鷲北ICと、尾鷲南ICの延伸が期待できることにあります。その中間となる小原野を整備することで、専用道路からのアクセスを構築することは不可能ではないはずです。現在の尾鷲市では、尾鷲南ICのフルインター化が焦点にもなっていますが、大規模な改修を要するよりは、新たに提案したほうがコスト面でも有利ではないでしょうか?そのための陳情や提言を、国や県に積極的にやるべきではないでしょうか?

 尾鷲市に必要な施策のひとつに、この防災拠点の検討と整備が、上位にランクインされなくてはなりません。説明責任の持てる施策を推し進めれば、市民の理解も得られるはずです。現状の道の駅と防災拠点では、尾鷲市全体を視野に入れた活動や支援には不向きであると考えます。こういったことは、早いほうがいいのです。防災で先をゆく尾鷲市ですので、関係機関を巻き込んで達成していってほしいものです。
by owase874 | 2013-01-16 23:33 | 防災とまちづくり

【お知らせ】第4級アマチュア無線無線技士養成講習会の開催について

 急なお知らせですが、第4級アマチュア無線無線技士の養成講習会が、尾鷲高校で実施されます。私も、小学5年生の時に取得しました(そのころは試験のみでした)。コールサインは、JL2AADになります。いまでも、ジムニーにダブルバインドのモービルを積んでいます。同じく、小型のハンディも所持しています。

 興味関心のある方は、東紀州コミュニティデザイン事務局までお問い合わせください。
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■第4級アマチュア無線無線技士とは?
 アマチュアバンドのうち、10、14、18MHz帯をのぞくすべてのバンドで運用できます。空中線電力は10W以下(50、144、430MHz帯は20W以下)、モールス通信はできません。

■資格取得の方法
 国家試験に合格して授与される国家資格です。または、今回の養成過程講習会の受講して資格取得できます。

■メリット
 最大のメリットは、資格範囲内での無線通信ができます!日常的な通信はもちろん、災害時にもっとも繋がりやすい通信手段です。最近では、自治体が資格取得を奨励するケースや(近隣自治体では、熊野市の取り組みが有名です。熊野市は、一昨年の台風12号の豪雨災害を教訓にしています)、活動をPRする災害系NPOも増えてきました。各自治体に定められている地域防災計画にも、アマチュア無線の利用と備えは、特別に明記されています(ここが取得を勧める大きなポイントです)。

■スケジュール
 日時:1月20日(日)・1月27日(日) 9:10-17:00
 場所:三重県立尾鷲高等学校
 料金:受講料等 22,750円(振り込み)
 受付:JARL三重県支部 冨岡方 059-255-2389
 参考:http://www.jard.or.jp/media/ytoukai.html

◆この情報に関する問い合わせ
 東紀州コミュニティデザイン 防災・減災事業部
  電話:0597-22-5554
by owase874 | 2013-01-16 00:22 | 防災とまちづくり

尾鷲市は、東日本大震災で何を学ぼうとしているのか?

 東日本大震災で学べない自治体って、どうすればいいのだろう?

 まさか、尾鷲市がそうであるとは思いたくはありませんが、「県(国)の想定が出ていないので」などと言っているとしたら、次に来るであろう熊野灘沖での巨大津波は、尾鷲市をどう変えてしまうのかと不安になります。

 尾鷲市では、津波防災教育の顧問に、群馬大学の片田敏孝教授を迎えています。教授には、東日本大震災以前より、市の地域防災を助言する活動をしていただいておりましたが、釜石市内の防災教育の成果で、多くの児童・生徒、それにつられた住民をも巻き込んで、たくさんの命を救ったことが、大きくクローズアップされての採用でした。こういった担当部局の即応は、市が防災について率先した自治体であることの証明です。

 しかし、実際の警報発令による住民の避難行動については、各メディアに報道されるほど、市では対策が浸透しているとは言えません。「避難所に逃げた住民は数%」などと、不名誉な数値でもって全国に報道されています。もちろん、これも毎回のように対策を講じていますが、最後は住民が決めることだと感じています。災害時に命を守るのは、行政や議会ではなく、自分自身が基本です。ただし、その方法や方策など、より命を守る手段を講じるのが、行政や議会に求められるのは言うまでもありません。

 また、住民ではカバーしきれない防災や減災もあります。これは台風12号で大きな被害を受けた、紀伊半島南部でも明らかになっていますが(東日本大震災でも同じですが)、地域防災を考えるうえで、本当は重要視されないとならないことです。言葉で言うと、官民協働の地域防災や、災害ボランティアセンター、防災ボランティアコーディネーターなどです。東日本大震災や紀伊半島南部の豪雨災害においても、一過性で終わっているのが懸案事項です。また、私もわりかしこの分野で活動していますが、尾鷲市からは蚊帳の外的存在です。唯一、今回の豪雨災害で、名古屋などからのボランティアが市内に仮眠したときに、そのコーディネートができたくらいです。

 とくに感じることは、津波への理解度と言うか、市役所内でも、担当課によって見解の違いが出ていることです。例えば、市防災センターの防災力は、自治体でもトップクラスです。防災教育の面でも、片田教授などを採用しています。しかし、いざ学校施設の建物となると、尾鷲幼・尾鷲小学校の耐震化事業では、東日本大震災を受けての見直しは、一切ないまま事業が進められました。私も委員会の場で、この件について質しましたが、「していません」とアッケラカンでした。尾鷲小学校の校庭は、海抜7.5mほどなのにです。反対に、輪内中学校の耐震化事業では、新校舎は津波対策が施されており、「デザインよりも、津波に対応した校舎を想定している」と言い切った設計業者が頼もしく感じました。

 また、早田地区のコミュニティセンターの新築事業については、早田住民を巻き込んで、「津波の想定は、昭和19年の東南海地震で設計する」、「あのとき(昭和19年)よりも、防波堤などあるから」、「津波では山に逃げるから大丈夫」、「高台の候補地は適地ではない」、「早田地区の総意であるから」などと、「公共施設を津波想定場所につくる」ことを了承してしまっています。多くの自治体では、「津波を受ける場所には公共施設をつくらない」と行動しているのに、12月定例会の委員会においても、「早田地区の津波の新想定が発表されていない」と答えた岩田市長には、それ以上呆れてものが言えませんでした(実際には、速報版が出ていたんですけどね…)。

 一方で、喧々諤々の道の駅については、「津波に対応できるのは、南インターしか無い」と、なかば断言しています。先の商議所との意見交換会においても、商議所の委員からは、「公共施設は津波の想定場所につくらない」と、市長以上の決断でもって発言されたのが印象的でした。まさに、早田のコミュニティセンターとは見解の違う意見なので、こういった矛盾を、議会はどう対応するのかが注目されているはずです。尾鷲幼・尾鷲小学校は津波の新想定はなしで、輪内中学校は新想定を想定、道の駅はなんとしても高台で、早田のコミュニティセンターは昔の想定で十分…これだけでも、大きな矛盾があるように感じるのは、はたして私だけなのでしょうか?

 最後に、三重県の防災危機管理部が最近発表した”東北地方太平洋沖地震と同等規模の地震が発生した場合に、沿岸各地に50cmの津波が到達するまでの想定時間等一覧表”から、尾鷲市に関する部分を抜粋しておきます。また、リンクも貼っておきます。

津波浸水予測図(平成23年10月速報版)e0105019_19191735.jpg
防潮堤等の施設を考慮した場合の尾鷲市


 早田地区は沿岸部で8mを越えています。しかも10月の速報値を、市は知らなかったのでしょうか?

津波到達時間等一覧表(平成23年版)
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尾鷲市の新想定を抜粋


 「50cm津波到達時間(分)」は、地震発生に伴う地殻変動後の水位を初期水位として、そこから水位が50cm上昇するまでに要する時間を示しています。

 私はこの夏に、岩手県下閉伊郡山田町に行って来ました。また、山田町と同様に、紀伊半島南部の豪雨災害においても、後方支援や実支援を継続的に行なっています。一方、東紀州地域の議員で、ここまで率先的にやっている方を聞いたことがありません。もちろん、適材適所、議員にも得手不得手があるので、私にも不得意な分野もあります。しかし、これまでの防災・減災活動を考慮しても、今回の大きな2つの災害は、東紀州地域や尾鷲市において、いままでの思考をひっくり返さないとならいほどの衝撃があったはずです。

 せめて、公共施設は、耐震化の道筋を明確にし、津波被害を受ける場所にはつくらない決断が必要です。また、どうしても津波被害を受ける場所にある場合は、明確明瞭な避難手段と広報が必要です。さらに、想定場所に新規に建築する場合でも、津波に対応した強固で頑丈な建屋にするべきです。

 あと、津波被害を受けたあとのまちづくりについて、いまから議論するべきです。これは、東日本大震災の教訓がいかされるはずですし、三連動の地震と津波後のあるべき自治体の姿を、そのときに考えるのではなく、いまこのときから考えていくのです。自治体が壊滅的になる恐れが免れない地域なので、それでも自治体として機能するまちづくりが求められるはずです。

 やるべきことは、ちゃんと見えていないとなりません。
by owase874 | 2011-12-23 19:19 | 防災とまちづくり

台風12号の影響と、尾鷲からできること

 9月4日から5日にかけて、本市にも影響を与えた台風12号でしたが、進路が西寄りになったと喜べない結果となりました。紀伊半島の南部を中心に、伊勢湾台風以来の大きな被害をもたらすこととなりました。

■台風12号:死者37人、不明56人に 救援活動続く
 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110906k0000m040077000c.html
※毎日新聞 2011年9月5日 20時49分より引用

 昨日、本市における被害状況の報告を受けましたが、全議員に報告されていないので、その内容は後日公開します。しかし、尾鷲漁協横に積み上げられている流木や、国道42号線や国道311号線で相次いだ崩落など、目に見える被害からしても、多大な被害を受けていることは想像できます。とくに、養殖真鯛などのへい死は、死活問題に繋がることなので、今後の調査と対応も必要です。

 また、東紀州地域でみると、隣市となる熊野市以南は、想像をはるかに超える被害を受けており、尾鷲市行政においても、早い段階から救援派遣を続けています。また、尾鷲市民においても、血縁や同僚、高校時代の同窓など、個々の繋がりにおいて救援や支援を続けています。こういった人の繋がりは、ほとんど話題にもなりませんが、地域防災を考えていく上では、貴重な語り部が生まれていることにもなります。

 市内の事業所をみても、尾鷲市社協においては、職員の派遣のみならず、遠方からボランティアバスでやってくる団体の仮宿泊所として、尾鷲市福祉保健センターを開放しています。こういった後方支援活動は、現地の活動をスムーズにさせる効果があります。また、株式会社熊野古道おわせの”夢古道の湯”においても、早い段階より、営業時間を23時までと延長しています。当時は、飛鳥町や五郷町の断水と停電があり、多くの方が来湯されていました。また、災害支援に関係する市内宿泊者においては、無料宿泊券も進呈しており、最近では、災害救援ボランティアの立ち寄り湯としても活用されています。

 手前味噌ですが、私においても、熊野市が出身地であることはもちろんですが、当初より中間支援を継続しています。11日(日)には、近畿圏から集まった総勢15名の災害救援ボランティアで、熊野市飛鳥町で活動してきました。今週末においても、同様に災害救援ボランティアを募って活動する予定です。また、GoogleマップやFacebookにおいて、紀伊半島の被災や支援状況の情報発信を継続しています。

■『紀伊半島生活取戻し隊』、初日の活動が終了しました
 http://crepm.exblog.jp/16839466/

■第2回紀伊半島生活取戻し隊の隊員を募集します!
 http://crepm.exblog.jp/16845674/

■台風12号の被害と復旧・支援情報
 http://g.co/maps/d5gvy

 尾鷲にいながらでも、できることはたくさんあります。また、勇気を出してというか、現地に赴くことも可能です。東日本大震災で、現地に行くことを躊躇していた方は、ぜひとも現地を見る意味でも、災害救援ボランティアに出かけていくことを勧めます。被災を自分の目で見ることは、大きな減災力に繋がります。
by owase874 | 2011-09-15 02:49 | 防災とまちづくり

まちの復興は、生活に密着したところからはじまる~山田町から学ぶこと~

 山田町訪問の2日目です。

 1日目は、山田町役場にお世話になりました。2日目は、より生活に密着した現場を政務調査することにしました。また、三重県が官民協働で設置した、”みえ災害ボランティア支援センター”が支援している各所も訪問しました。行政支援と民間支援の双方を調査することで、復興プロセスや地域防災を学ぶことができました。

 1日目の夜は、宮古市内で宿をとったのですが、山田町災害ボランティアセンターを支援するために、三重県からの現地スタッフとして派遣している二瓶さんに同行いただきました。また、ちょうどこの時に、三重県からの第2次先遣隊として派遣した西村さんもボランティアに来ていたので、お二人よりボランティアやこれまでの活動状況などを聞き取りしました。お二人とも、私の友人であります。

 二瓶さんに至っては、山田町入りしてから77日目になっていて、キャンプ場でテント生活をしながらの支援活動をしています。主には、ボランティアセンターからの派遣活動ですが、三重県からのボランティアバスの受け入れや送り出し、みえのセンターからの依頼や交渉などもしています。みえのセンターからは、21便となるボランティアバスを派遣しているので、なかには親しくなったボランティアもいて、独自の交流もしています。私を通じたボランティアの受け入れもしていただき、三重隊とともに汗をかいていただいています。
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二瓶さんの仮の住まい


 二瓶さんも、西村さんも、被災地での救援ボランティアを経験されており、”外部からの支援”の必要性や課題を聞くことで、尾鷲市にも当てはまるであろう問題も提起されていました。「外部からの受け入れは、こういった活動を知っている”人”によることが大きい」や、「被災した自治体に日ごろからの連携がなければ、被災したあとの活動に大きな支障が出る。ややもすれば、外部からの支援を想定しない行政や社協が弊害になることも否定できない」などは、私の実感としても大きな課題だと感じています。

 二瓶さんには、2日目も同行いただきました。

 山田町商工会では、阿部会長をはじめ、佐藤専務や、みえ災害ボランティア支援センターが現地雇用した職員の佐藤さんに対応していただきました。三重県の予算で現地雇用したことは、いかにも官民協働の三重県らしいアイディアです。雇用促進が必要とされるなかで、このほかにも、山田町観光協会の職員を募集をしています。

 商工会でも、多くの事業所が被災し、会長も専務も自身の店舗が被災しました。1日も早い事業所の復興が、山田町全体の復興に繋がるという話は、もっともだと考えています。多くの自治体に設置された災害ボランティアセンターでは、事業所の復興もボランティアが支援しています。店舗の被災を復興することで、まちには活気が戻るし、生活の再建を後押しします。山田町では、”しまむら”や”ホーマック”など、大きなチェーン店が復興をはじめていますが、個人事業主の店舗は、まだまだこれからです。最近では、震災直後から青空市場などで生活を後押ししていた地元スーパーの”びはんストアプラザ店”が営業再開をはたし、多くの買い物客でにぎわっていました。
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7日に営業再開


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スマイルガーデン(三林議員撮影)


 敷地内に併設された”スマイルガーデン”は、商工会が支援した個人店舗の仮店舗営業となっており、6店舗が営業を再開、または準備をしていました。商工会では、こういった店舗形態での営業再開を今後も支援し、会員だけでなく、会員外の問い合わせにも応じているということです(その第1号は、商工会前の公園に設置した”なかよし商店街”の仮設テント)。震災から5カ月が経過し、避難所での生活から、仮設住宅での生活に移ってきています。自宅避難者とともに、自力復興も考えないとならなくなったことで、多くの課題はありますが、商工業の再開が大きくカギを握っているとも感じました。
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商工会前のなかよし商店街(三林議員撮影)


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正面奥が山田町役場


 今後も、山田町商工会には支援を進めていくことをお約束し、三重県との窓口には、職員の佐藤さんにご活躍いただくことになります。個人的なつながりでは、三重県からのボランティアをはじめとする市民間の交流がありますが、支援のつながり方は、多種多様であったほうがより密接になると考えています。

 申しわけないほどの歓迎を受けて商工会をあとにし、山田町役場で豊間根議員と面会しました。豊間根議員とは、震災直後よりtwitterで交流をしており、今回の政務調査視察の窓口にもなっていただきました。震災当時、役場で被災した豊間根議員は、深夜になって在所である豊間根地区まで戻ったそうです。このとき、山間部にある地区は、大きな被災をしなかったので、炊き出しの準備をしていたそうです。「この地震は、ちっとやそっとではおさまんね。いま力を出し切ってはだめだ」と、継続的な救援が必要であることを、地区内の避難所で説いて回ったそうです。
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左より、二瓶さん、私、豊間根議員、神保議員(三林議員撮影)


 被災地からの情報発信は、発災直後より、それこそ多くの方によりされていましたが、議員による発信は稀です。多くの理由はあるでしょうが、単純に、情報端末を扱える議員が少ないからでしょう。そのなかで、多くのことを同時進行しながら発信する豊間根議員には、当初より興味があり、忙しいのを承知でいろいろとお願いや情報提供もしていただきました。今回も、忙しい合間を縫って面会することができ、議員としての立場や行動も見聞きすることができました。
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山田町災害ボランティアセンター(三林議員撮影)


 役場をあとにして、次に山田町災害ボランティアセンターも訪問しました。ここは、昨日も案内してもらいましたが、副センター長の岡田さんに面会しました。時間の行き違いで、その後には、センター長の福士事務局長にもお会いすることができました。
 この日まで、みえのセンターを中心に、延べ2,500人を超える多くのボランティアの受け入れもしていただいています。私も、後方支援として活動してきただけに、実際の訪問には感慨深いものがありました。岡田副センター長は、前評判通りの巨漢で、”熊さん”の愛称がぴったりの、山田町にいちはやく駆けつけた、北海道からきたNPOでした。
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船越地区の入江田沼(右)と山田湾(左)


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津波と火災に見舞われた田ノ浜地区


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海は澄んでいた


 「行方不明者の捜索を、山田町では上空からもしている。海からの捜索との違いを見てほしい」と言われ、ボラセンとなっているB&G山田海洋センターのグラウンドに駐機していたヘリコプターに搭乗しました。いまだに76名の安否が確認されておらず、8月には入ってからは、ヘリコプターによる捜索で1名が発見されたと聞きました。上空に上がって感じたのは、海から水平に見るのと、上空から見下ろすのとでは、大きな違いがあると実感しました。
 体験であったので、短いフライトにしていただきましたが、安否不明となっている家族や親類などにとっては、ご遺体の発見は、最期の望みであると感じています。海洋とヘリコプターによる3次元捜索を、独自にやっているのは山田町だけです。
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みえからのボラバス21便の帰途


 このあと、道の駅やまだ内に臨時オープンしている、山田町観光協会も訪問しましたが、担当職員が不在で挨拶だけでした。この道の駅は、人気コミックにも登場したことがあるので、その行となった”わかめソフト”が有名だと知りました。しかし、わかめ粉が入手できずに販売中止になっているとも聞きました。お土産だけでなく、日用品も販売しており、また、ボラセンより近いということもあって、大変なにぎわいでした。こじんまりとした道の駅でしたが、尾鷲市が学ぶことはあるなとも感じました。
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道の駅やまだ(写真中央)


 予定より遅れてしまいましたが、山田町社会福祉協会が入居している保健センターにも立ち寄り、山田町社協の事務局長で、ボラセンのセンター長も兼務している福士さんにお会いしました。織笠地区にある自宅が被災しただけでなく、家にいた妻と祖母も亡くされており、かける言葉ないほど身につまされました。そのなかで、福士事務局長を筆頭に、多くの社協職員や関係者が、不眠不休で活動しているのを聞いておりました。やっとお会いできたことに感激しましたが、今後の支援もお約束したところです。

 今回の視察では、”被災地を見てくる”のではなく、”復興に奔走している人々”との出会いに重点をおきました。被害を受けた建物や、壊れた堤防は、あらゆる手段で見ることができます。しかし、その場に居合わせた方や、被害に遭われた方々の生の声は、私の大きく心に響き、結果としては、津波と生活が密着していたことを実感しました。このさき、集団移転や部分移転はあったとしても、故郷であるこのまちには、”今後も何が起ころうと、それでも、住み続けなければならい”のです。

 山田町の皆さんには、実際にお会いした方を含め、twitterなどで交流していただいてる多くの皆さんにも、今回の視察ではお世話になりました。また、盛岡市内で宿泊した際にも、在住者からのツイートなどに助けられました。
by owase874 | 2011-08-13 10:12 | 防災とまちづくり

山田町の被災状況を案内していただく

 ただ見るのとは違い、説明を受けながらの案内は、大変に参考になりました。


 山田町役場は、玄関で約11mの標高ですが、このスロープの下まで津波が襲来し、役場の地下が浸水しました。国道45号線で約4m、スロープ下では約9mなので、1-2mの違いが生死を分けたと言えます。ここから、堤防を越える津波が見えたり、火災の猛火に驚愕したと聞きました。役場がある敷地には、保健センターや、物資センターとなっている中央公民館があります。しかし、出入り口は海側にしかなく、背後である山側には抜けることができません。「鉄道があるのだが、後方に出られないので、救援にも行けなかった」と聞きました。
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山田町役場へのスロープ


 市場周辺も、破壊的な大きい被害を受けていました。水産加工業者のほとんども被災しており、再建のめどがたっていない事業者も多いと聞きました。ほとんどが、マイナスからの再建になるので、多くの後押しが必要です。
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山田魚市場


 60cm~70cmほど地盤沈下しており、このときも海水面がすれすれでした。市場は骨組みだけになっていて、隣に新設する工事が始まっていました。山田と船越に所属する漁船は、震災前は約2,100隻あったようですが、約1,500隻が被害を受けたようです。また、主要産業でもあった、山田湾を埋め尽くすように並んでいたカキやホタテの養殖筏も、いまはほとんど見る影がなかったです。三重県からは、三重漁連を通じて、漁船や漁具を支援したと聞いています。
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市場を新設中


 織笠の山手にある山田中学校は、統廃合後に建てられた立派な中学校でした。この学校の近くの、市営グランドがあった場所に、いまは仮設住宅が並んでいました。避難所などから離れた仮の生活ですが、すでに始まっており、今後は見守り隊などの戸別訪問などが必要になってくるでしょう。孤独死やコミュニティの構築など、多くの課題があるからですが、行政の手が行き届かない場合は、多くのボランティアが補完します。誰かが関与することで、津波で生きながらえた人たちを、孤独に追いやってはなりません。
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仮設住宅


 自衛隊が駐屯し、自衛隊による野営銭湯があった山田高校です。いまなお、仮設住宅への入居待ちをしている避難者がいますが、いまは町営となった野営銭湯がありました。また、長期的に学校施設が避難所となる現実は、尾鷲市においても想定と対応を考えた方が必須です。この問題は、今回の震災の大きな課題ともなっています。
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山田高校グラウンド


 織笠地区も、海岸部は壊滅的な被害を受けました。三陸鉄道の織笠駅も跡かたなく、鉄橋も流出しています。今回面会した、織笠出身の沼崎町長や、山田町社会福祉協議会の福士事務局長の自宅も被災しました。福士事務局長においては、自宅に留まっていた奥さまやお祖母さんを亡くされており、明るく振る舞っている姿に、胸を締め付けられる思いになりました。山田商工会の阿部会長も、「知り合いに出会うと、「よお、無事だったが」とまでは言えても、そのあとは聞けね」と言っておられました。誰かれ、身内が無くなっているからで、明るく挨拶するだけで精いっぱいとのことでした。
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織笠地区


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山田道路からの織笠地区


 船越半島の南側に位置する小谷鳥地区は、公民館に避難した避難所ごと津波にさらわれた地区です。辺り一帯は、集落があったことすら想像できない壊滅的状況で、警察による捜索が続いていました。
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小谷鳥地区


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警察による捜索


 船越地区は、外洋に面した船越湾と、内湾の山田湾に挟まれています。海跡湖と思われる入江田沼がありましたが、いまは瓦礫や土砂で想像しがたい状態でした。あの日、津波が押し寄せたとき、双方の湾から津波が駆け上がり、外洋に近い船越湾からの津波が早く到達し、山田湾側に近い鯨と海の科学館あたりで、大きな波しぶきとともにぶつかりあったと聞きました。湾から湾まで約1.3kmほどですが、どちらの堤防も壊滅していました。いまは、瓦礫の集積場にもなっており、すさまじい状況です。
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船越湾側の堤防


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8.5mの堤防上より


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向こうの道路まで堤防があった


 都市計画地区に位置していた山田病院も、1階部分が浸水し、いまは閉鎖しています。診療機能は、大沢地区の総合運動公園の駐車場に、仮設病院を設置して対応しています。山田町には、入院できる病院施設がない状態ということで、病院の存続問題も、今後の大きな課題とのことでした。平成8年の建屋だけに、大変もったいないですが、この場所での再開にはリスクが大きいです。
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県立山田病院


 9つある小学校で、唯一被災した船越小学校も案内いただきましたが、あまりにも衝撃的でしたので、別記します。
by owase874 | 2011-08-11 06:54 | 防災とまちづくり

山田町への政務調査視察で感じたこと

※あとで追記します

 現在、盛岡市内のホテルから更新しています。

 8日に盛岡入りし、9日の午後から、山田町役場にお世話になりました。盛岡市からは、国道106号線で宮古市に入り、国道45号線で山田町に入るのですが、距離にして約120km、2時間半から3時間くらい、ほとんど山のなかを走ります。宮古市街地に入ると、海岸に近い場所は、YoutubeやTV報道で見た同じ風景がいくつもありました。生々しく、津波が堤防を越えるのを、ただただ見つめるしかない映像でしたが、いまはその場所に自分がいる不思議さを感じます。しかし、あのときからはかなり片付いており、更地になっている場所も多かったです。

 ところが、山田町の豊間根地区から、山を越えて海岸部の大沢地区に入ると、いままでとは状況が一変しました。青々と茂った雑草が目立つのですが、そこはもともと家屋が立っていた場所であり、家の基礎だけがかろうじてわかる程度です。それが、あたり一面なので、「ここには集落があったのだ」と驚くばかりです。かなりの高さの防波堤も、あちこちでひっくり返っており、崩れかけた堤防も、砂の山にコンクリートを被せているだけのようです。しかし、日曜大工品の”ホーマック”が仮営業し、その道路向かいの”しまむら”が、営業再開していました。どちらにも多くの車が止まっていて、”復興”の力強さを感じたところです。

 その先の、県立山田病院のある場所の近くには、真新しい町営のマンションがあるのですが、3階のベランダまで漂流物が引っかかっています。宝来橋を渡ったすぐ横に、町立北浜地区防災センターがあったのですが、鉄筋の骨組みや壁の一部は残っているものの、無残な姿をさらしていました。この辺りから、まちの中心部になるようですが、地元スーパーの”びはんプラザ”が営業再開しており、次の日に立ち寄りましたが、多くの買い物買い物客でにぎわっていました。このスーパーの脇には、個人事業主のプレハブ店舗も仮営業を始めています。山田町商工会では、こうした仮店舗での営業再開を支援しており、今後も増やしていきたいと考えているようです。

 びはんプラザを通り過ぎた辺りからは、いっそう見通しがよくなっており、初めてみる分には、「山際にしか家がないまちやな」と感じてしまいます。しかし、海岸部には高い防波堤が残っていますが、かろうじて残っている2階や3階まで、大きな打撃を受けています。見通しがよいのは、建物の全てがなくなっているからであり、この場所が、津波被害と大火災に見舞われた地区であったと思いだしました。火災が鎮火したあとのこの地区は、空爆にでもあったような、黒こげた瓦礫と漂流物の散乱でしたが、いまは大方が片付けられていました。それがかえって、違和感のある風景にも感じます。ここの奥まったところに、山田町役場があって、八幡町の由来にもなっている八幡神社がとなりにありました。

 13時から14時ごろまでは、山田町役場の一室で、沼崎町長と面会し、佐々木総務課課長とともに、被災前から被災直後の動向を聞かせていただきました。沼崎町長の自宅も、織笠地区にあったのですが、いまは基礎しかないとのことでした。あとで、その地区を見て回りましたが、あたり一面に基礎が残るだけで、見通しのよい平野のようでした。被災直前は、本会議の再開を控えており、大きな地震によって中止になったようです。それから20分か25分くらいあとに、大きな津波がまちを襲うのを見たそうです。そのときは、それが現実なのかどうかさえも戸惑うほどの衝撃だったようで、避難者があたり一帯に、命からがら逃げのびてきていました。

 沼崎町長からは、被災後の動向も聞きましたが、この一帯は同時に火災にも見舞われたので、その火災が収まるまで何もできなかったことや、職員を含めて、不眠不休の救援活動が始まったことを聞きました。当時の様子を想像しても、未曾有の災害だっただけに、何から手をつけてよいのかわからいままに、できることから手をつけていった印象でした。これを”想定外の津波”と言えば、簡単に片付きますが、そうだとしても、そこには人の命があり、生死の境や安否があり、止まった時間が再び動き出した現実に対する対応が求められていました。被災直後から、何もかもがいっぺんに現実として動き出すので、しばらくは本当に大変だったと感じました。

 今後の復興計画についてもお話を聞きましたが、まちの復興や再興は、一筋縄ではいかない印象でした。あまりにも課題が多く、かなりの英断と即応が必要だと感じました。そのためには、地域住民の理解と協力も必要で、「30年後の山田町を想像するのか?」、「未来の子どもたちのために残せるまちにするのか?」など、具体的な数値でもって復興計画を推し進めていくしかないでしょう。どうしても、目先の復興になってしまいがちですが、在住者の知恵だけでなく、故郷を忘れていない出身者の視点も取り入れたらいいのではないだろうかと、お話を聞きながら考えていました。よそ者の視点としては、先人の教えや先見の明があったと、後世の町民に語られるまちにしてほしい気があります。

 このあと、主だった被害状況などを、佐藤危機管理係長や尾形議会事務局長に案内いただきました。写真付きで別記しますが、今回の政務調査視察の受け入れは、三重県が長期的にボランティア支援していることや、ボランティア支援などでお世話になっている、山田町議会の豊間根議員の尽力によって実現しました。また、実際に受け入れをしていただいた山田町役場には、できなかったことも含めて、多くの現実を語っていただき、大変に参考になりました。「私たちの被災を、ぜひ尾鷲市の防災や減災にお役立てください」との言葉もいただき、いっそうの支援を自身にも誓いました。
by owase874 | 2011-08-11 04:36 | 防災とまちづくり


市民活動の延長線上に、市民目線の政治があると考えています。


by kumano874

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ご挨拶とブログの概要

当ブログに来ていただきありがとうございます。私が政治に関心をもったのは、災害現場でボランティアとして活動しているときに、どうしても市民活動・NPO活動だけでは届かない声があると感じてからです。1995年の、阪神淡路大震災のときです。それ以降、政策提言できる市民活動を合言葉に、さまざまなことを実践しています(市民派向けのブログもあります。こちらCafe_CReAM モノ語り)。


これまでの思いが実現したのが、2006年11月から、2期6年半在職した尾鷲市議会議員でした。3期目の挑戦には苦杯しましたが、貴重な実体験をさせていただき、条例の制定を中心にした議会改革や、市民活動で培った政策提言を直接できる立場として、負託の重さを実感することができました。

また、尾鷲市議として負託をいただいてからは、この地域ではいち早く、議員活動をお知らせする手段の一つとして、このブログを活用しました。当時のことも含め、日々私が何を感じ、何を考えているかを綴る活動報告にもなっています。なお、2014年5月1日からは、三重県熊野市議会議員として、あらたな1歩を踏み出します。

ときには辛口の意見もありますが、東紀州における公益や市民益を考える一人の意見として読んでいただければ幸いです。

質問や批評など、ご意見がございましたら、下記宛にお願いします。何かしらの方法で、きちんと対応させていただきます。ただし、ブログのコメントには、できる限り返答をいたしますが、端無自身の裁量になることをお許し下さい。

◆ブログ管理者
 未来874事務室
 熊野市飛鳥町佐渡462番地
 0597-84-1033
 kurage874@cream.plala.or.jp 

なお、たくさんの意見や考えをお聞かせ願いたいので、直接にお会いすることも可能です。日程調整などしますので、その旨をお伝え下さい。

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