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雨のせいか?

 いつも、雨が降ると足を運びます。

 意見はいろいろありますが、私は自然環境を守っていくとが、この地域に残された最後の手段と感じています。あっちでは賛成だけど、こっちでは反対とか、柵によってはどっちでもみたいなことでは、この地域は立ち行かなくなります。だからこそ、変わんないんじゃないかな。
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キレイな方です


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ここまで来ると


 今日の汚濁の原因は、道の駅の予定地あたりです。その付近には、沈砂池がありますが、これより下流域がドロドロです。道路脇からよく見えるので、対策されているのかが疑わしくなります。もしも、道の駅が滞りなくこの辺りにできたら、きっちり改善されるのでしょうか?

 新規には絶対NOでも、既存には??ってのも理解できかねます。また、道の駅の建設予定地(候補地)として考えれば、雨が降る毎にこれでは、なにを目指しているのかも疑問です。私は、賀田でもそうでしたが、改善する手立てと術があると感じています。しかし、柵や上辺だけの意見が、大きく邪魔をします。本音と建前はよくある話ですが、本質が見抜けないのは、一番いけないことです。

 改善できなければ、それはNOです。自然環境の視点で言えば、いかに商工業の発展と折り合いを付けるかです。いまでも私は、尾鷲湾を見渡したときに、汚染の原因は一つではないと考えています。未来に残せるものがあるとすれば、やはりこの地域の自然しかないように感じます。それさえあれば、ほかは自然についてくるのではないでしょうか?

 そうやって、この地域は恩恵を受けてきたはずです。
by owase874 | 2013-06-26 13:41 | コラム「温故知新」

近況

 空梅雨なのに、湿気だけはありますね。

 しばし休息中の私ですが、市政のことは気になります。しかし、それ以上でもそれ以下でもないのが正直な所で、いまの市政に対してなにかを言える立場ではありません。もちろん、いち市民として感じることはあるので、そのうち書くかも知れません。だって、それが私ですよね。

 選挙スタッフと、私との懇談は、来月の中頃に設定されました。先だって、日程調整を打診されましたが、そこまではまな板の鯉だと決めています。なので、その後は全くの白紙で、いまはニートのような生活をしています。しかし、市民活動をやめているわけではないので、あちこちとお金にはなっていないことをやっています。それはそれで考えものですが、率先する市民であることは、私の誇りでもあります。

 尾鷲市民がとった選択を、私は受け入れるしかありません。それは、何を言おうと民意ですし、私に負託を期待してくれた少なくともあの票は、「死に票にしてしもたな」と言われて当然です。しかし、だからと言って、動くことをやめてしまうのは、それはちょっと違うと思います。私自身も、落胆や後悔はありますが、それでも前に進むべきで、いまはできることをやっています。ただ、このまちにとって必要かどうかは、一つの結果が出ているので、その後を考えるに値します。それも、来月には結果を出します。

 自分には、安住の地はまだ見つかっていないのかも知れません。これまで、出身地の熊野市飛鳥町、東大阪市、旧海山町相賀、旧海山町上里、御浜町上市木、そして、尾鷲市と渡って来ました。約20年で5ヶ所なので、単純に4年に一度は住む場所が変わっています。それでも、尾鷲での8年は、熊野での20年についで長いので、やはり愛着はあります。ここに来た意味を回想しながら、次の手立てを考えるとします。

 当たり前ですが、肩書きを失っても、生活はあります。いまは娘を育てる立場ですので、このままが続くことはありえません。しかも、市民活動の立場で2名を雇用しているので、ともに次の手立てを考えていく必要もあります。いよいよ、本当の正念場だと腹をくくっています。それは、スタッフにとっても同じ気持でしょう。かと言って、ここで全てを白紙にしてしまえば、この地域における私の存在意義までなくなってしまいます。私は、役割と使命感でここにいるのです。

 そういった意味では、面白くなって来ました。本当に、考えるときが来ているのでです。いま以上に考えをめぐらし、慎ましくも生きていく手法を勝ち取らなくてはなりません。もちろん、スタッフの生活もあるので、放り出すわけにはいきません。

 強烈な取捨選択が、そこまで来ています。
by owase874 | 2013-06-24 22:33 | コラム「温故知新」

今後について

 なんて顔したらいいのか悩みますが、今後をよく聞かれます。

 ひとり者ではなく、娘もいるので、よけいに心配をかけています。なによりその娘の方が心配、と言う声もあるようですが、大丈夫、父娘2人には代わりはありません。もちろん、それが3人になる目処も、いまはありません。

 その今後ですが、選挙スタッフと、顔の見える支持をいただいた方に、1.選挙戦の反省をしてもらいたい2.候補者であった僕への提言をしてほしい(反省を促すことも含めて)3.今後の端無について、どうすればいいのかをアドバイスしてほしい。以上、この3つをお願いしてあります。しかるべき近い日に、集まって会合を開くようです。もちろん、関わってくれる方は、誰でも参加可能とのことですが、私自身は参加しません。なお、私の支持をしたことが前提のようです。

 そのあとで、私との反省会と展望会を開催します。双方のすり合わせをして、今後を決めようとなっています。6月中には、答えがでるかも知れません。あとは、僕次第になりますが、このまま4年後の市議選を目指すのか、はたまた市長選に向かうのか、それとも県議選で広く訴えを聞いてもらうか…熊野での出直しも、他所での出直しにも、ありがたいことに声をいただいています。しかし、私自身はまったくの白紙で、いまはまな板の鯉です。もう一度、言っておきますが、まったくの白紙です。

 当然ですが、そんなこと言える立場ではありません。少なくとも、自分のやり方を通しての結果ですから、進退をあずけることも、意見をよく聞くことも必要だと感じています。そうでなければ、同じ轍を踏んでしまいます。4年というスパンで考えると、あらためて長い時間ですが、いまは決断する時期ではありません。スタッフを信じて、しかるべき判断をしたいと考えています。しかし、それを考えてくれるスタッフには、最後の最後まで感謝しきりです。

 さて、どうなりますことやら。
by owase874 | 2013-06-13 15:06 | コラム「温故知新」

はなし徹也の選挙戦を振り返る、その四

 もう一つ、私自身が選挙に落ちるのではと、感じた場面があります。

 それは、自分が住む北浦町で、最後の街宣をしたときです。予想以上に、全く盛り上がりがなく、一緒になって歩いてくれたスタッフたちにも、悪いことをした気になりました。なにがどうはないのですが、雰囲気でそう感じたのです。3期目という目新しさの無さや、私自身の認知度の無さが全てですが、あとでやめておけばよかったとさえ感じました。こういう自分自身の感覚は、うまくは表現できませんが、自分が決めていた選挙戦略から外れていたのかも知れません。

 今回の選挙戦では、私は500票を目標にしようと、スタッフには発言していました。500票からどれだけ積み上げるかで、余裕度が違ってくると、これまた感覚でしか無いのですが、これは間違っていませんでした。わずか14票ですが、これをクリアさせていればと、私もスタッフも後悔をしたはずです。そこに達せなかったのは、まさに私の選挙戦略の失敗で、もし同じ事やっても、次も選挙には勝てないでしょう。もともと地盤も看板もないのですが、3期目を目指した以上は、その土壌をつくっておくことも、私には足りないところでした。選挙戦に入ってから、その対策を考えていましたが、遅きに失することでした。

 やはり、田舎の選挙は、まだまだドブ板と呼ばれるローラー戦術が必須です。選挙とは、候補者自身にとっては、自分自身の理解をしてもらっての1票の積み上げを期待するものです。しかし、実際の投票行動は、推薦者から紹介を受けたことがキッカケであることが多く、本人をよく知らなくても、その間の友人の信頼から、私への1票に繋がることがほとんどではないかと感じます。私の選挙においても、スタッフが必至になってお願いをしてくれるので、これが多くの票を呼び込むことに繋がっているはずです。それを自分自身のモノにすることも、私の力量と手段ですが、ここにも私の敗因はあろうと感じています。

 とは言え、政治を目指す端くれとしては、自分の思いを通すことも、大事だと感じています。突き進むものがなく、人に振り回される政治家は、どこに自分本位があるのかわかりません。ここが当選とは表裏一体ですが、今回の落選でもサバサバしているのは、まさに自分の決めたことをやって負けたのであって、自分自身の力の無さが露呈しただけなのです。もちろん、スタッフには申しわけない気持ちしかありませんし、負託をいただいた支持者の皆さまにも、合わせる顔がありません。また、そういう後悔を余計にしてしまう票差もあります。やはり、選挙には勝たなければ意味がないのです。

 あと、今回の同日選挙では、一騎打ちとなった市長選挙も、市議会議員選挙には大きく影響したと感じています。私は、どちらの支持であるかハッキリとした態度を表明していませんでしたが、候補者のなかには、選挙前から名前が上がっていた方もいたし、選挙戦に入ってからは、そういう情報を伝えてくれる人もおりました。私は、首長と議員は一線を画すものだと考えているので、とくに態度を決めることはなかろうとの考えでした。しかし、言いようのない複雑な気持ちはありました。結果としては、挑戦者が僅差で敗れましたが、私と同様に若い世代の候補者が3人も落選したことは、特筆すべきだろうとも感じています。年齢層で言えば、今回の尾鷲市議会も尾鷲市長も若いほうだとは感じますが、もともと市議会で同じ釜の飯を食っていた3人の候補者が、ともに力を合わせずに4年間を過ごしたことは、若返りの土壌を築いてこなかった大きな無責任として、私は常に感じていました。ここにも、敗因があると感じています。

 結果が全てですので、これ以上の考察は、後悔や言い訳が並びそうなので辞めますが、私は落選しても政治家であると感じています。一方で、率先する市民として、市民活動を常にリードしてきた立場である私が、市民派として議席に残れなかった悔いは大きいです。現場主義とは、誰かの名句ですが、私自身も常に現場に携わっている身でもあるので、道半ばの落選は情けない限りです。市民活動をリードしてきた先輩方にも、合わせる顔がありません。ここを勝ち上がってこそと考えていたので、やはり勝てない選挙はしてはならぬのです。

 私には夢があると言ってきたのですが、その夢は絶たれたわけではありません。しかし、いまは立ち止まってしまいました。すぐに動かすべきか、いま一度立ち返るかは、この段階ではなんとも言えません。それには、多少なり時間も必要だと感じています。また、第3者や、スタッフの意見を求める場面もあるでしょう。

 落選の弁はこれにて終わりますが、本当に、両親をはじめ、スタッフにも申しわけない気持ちでいっぱいです。選挙は、候補者は意気揚々としていますが、周りを支えるスタッフは大変です。楽しくやると決めている選挙戦ですが、実際にそうなったかどうかはわかりません。しかし、それを目指してやってきたことは確かですし、落選はしましたが、それは自分自身の責任として反省します。

 議員活動も市民活動も、弱者に対して手を差し伸べることが、私のできることです。今回、議員の活動は小休止しますが、市民活動の火まで消してしまってはなりません。いまは、それだけは言えます。
by owase874 | 2013-06-11 19:55 | コラム「温故知新」

はなし徹也の選挙戦を振り返る、その三

 今回、私は私の責任において、1.ウグイス嬢を使用しない、2.街頭演説と徒歩による選挙活動、3.街頭演説は期間中に100回は最低するを課しました。100回はどうみても少ないですが、候補者のなかでは多いほうだとは感じました。そして、3歳になるひとり娘を子育てしていることから、1.朝ごはんはきっちり食べさせる(朝の支度全般を私自身でする)、2.夜のお風呂と寝かしつけを私自身でする、3.洗濯を毎日するも課しました。これもまた、私の勝手な約束事ですが、子育てしながらの議員活動を目指すからには、大事なことだと感じました。

 ウグイス嬢を使用しないのは、道中の名前の連呼もできず、また私の休憩中に街宣車を走らすこともできないので、これが結果的に痛手になりました。「名前の連呼らでなにがわかる」との指摘もあって挑戦しましたが、「今回は、回ってこなんだ」とのお叱りや苦言を受けてしまいました。当然ですが、私が候補者であること自体、知らない世代や地域もあります。それにまず気づいてもらうことも、やはりしなければなりませんでした。まあ、この辺りの頑固さが、私の落選の要因にもなっています。スタッフのなかには、ウグイス嬢を申し出てくれていたので、すまないことをしました。しかし、自分のなかでは納得した上で、貫き通しました。

 また、徒歩による街宣活動は、1日あたり約10キロを超える日もありました。曽根、古江、三木里、三木浦、早田、九鬼、須賀利は、ほぼ歩いて街宣しました。梶賀と賀田は、日程的に難しくなり、街頭演説にとどまりました。尾鷲市街では、北浦一体、馬越町、宮ノ上町、座ノ下町、坂場一体、栄町、中井町、港町、林町の一部、朝日町の一部、中央町の一部、中村町の一部、南陽町の一部は歩きましたが、例えば天満浦と桂ケ丘だけは、一度も出向くことができませんでした。また、古戸町、古戸野町、上野町、小川一体、中川、瀬木山、倉ノ谷町、泉町、光ヶ丘、矢浜一体、向井、大曽根、行野浦も、街頭演説にとどまりました。これまで2回の選挙戦では、市街はほば歩いていたので、距離としては稼げませんでした。その分、街頭演説を多用したのですが、ここにも敗因があると感じています。

 街頭演説においては、最終日には31ヶ所で行い、その1日前の金曜日には、午後からでしたが25ヶ所で行いました。徒歩での際も、選挙ポスターの看板の前などで街頭演説をうったので、1日平均18回くらい、約130回はやりました。この街頭演説は、結果としてはよかったですが、訴える内容を3つに絞り、防災や減災、子育て、学校教育について街宣しました。ときには、議会がひとつになるための資質を問いかける内容も含めましたが、これらの内容が響いたかどうかは、落選の結果を見る限りでは、信任を得るまでには至らなかったのかも知れません。どちらかと言えば、若い世代向けの内容でもあったし、尾鷲市の有権者の中でも、実際に投票する層には響かなかったのかではないかと推測します。また、そういう出来事が、選挙中にはありました。この出来事は、私には非常に大きく、いまもわだかまりとして残っています。

 その出来事とは、最終日のことです。ある限界集落へ、街頭演説に行ったときですが、ハッキリと別の支持者を名乗る数名に取り囲まれ、「あんたは、子育てとか、未来のこといいよるけど、ここにはもう子どもらおらへん。老人しかおらんのに、老人のことはなんにも言わへんのかいな?子どものことらどうでもええよって、私ら高齢者のこと考えんかい!」ってお叱りを受けました。さらに、その支持者の支持をするようにも助言をいただきましたが、その根の深さと浅はかさに、このとき自分は選挙には落ちるのではないかとさえ感じました。

 実際にもそうなりましたが、高齢者の多くが、若い世代には期待をしながらも、実際にはいまの自分たちの生活が第1で、この人たちのように、自分の子どもたちが尾鷲にいないと言うことで、他所に送ってしまった我が子や孫のことなどは、まさに関係がないのです。もちろん、他人の子どもまでを考える余裕がなく、これが全てではないですが、今回の選挙の結果をみても、単に若い世代の候補者の選挙戦略にツメが甘いとかだけでなく、この地域が抱える現実課題では、子育ての環境以上に、高齢者への配慮が必要だったと言うことです。まあ、わかっていたことでもあるのですが、そこを同じにしても、私は当選ラインに乗ったとは言えません。しかし、有権者に65歳以上が7,500人以上もいる尾鷲市ですから、積極的に選挙に行く層であることからも、勝負をどこでするのかは、当選するには非常に重要でもあります。

 実際にも、私の支持層は、もちろん高齢の方もいるのですが、スタッフが若い世代ということもあり、選挙にいかない同世代に選挙に行ってもらうことを、切にお願いすることも多いです。また、私の友人であっても、「政治では世の中は変わらない」と、選挙協力をしてくれないこともあるので、浮遊層を取り込むというのは、その時々で非常に不安定な要素もあります。しかし、選挙に関心がなくても、これを機会に私にも関心を持っていただき、それが政治に参加する手段が多様であることを知ってもらえれば、私の戦略としては間違っていません。それと当選ラインは別物ですが、世を変えるために挑戦するということは、同じ事をしていてもと考えています。結果としては、選挙には勝たなくては意味がありません。そこに、私の頑固さゆえの失敗があるのですが、そこを乗り越える挑戦は続けたい気持ちがあります。ただ、選挙に落ちるという結果を目の当たりにし、いまは他人の指摘を必要とするとも感じています。
by owase874 | 2013-06-11 14:48 | コラム「温故知新」

はなし徹也の選挙戦を振り返る、その二

 いよいよ選挙戦がはじまり、選挙ポスターもなんとか間に合い、公選葉書は選挙がはじまってから刷り上がりました。この点では、発注先の尾鷲印刷合資会社さんには、大変なご迷惑をおかけしました。

 また、選挙活動中には、尾鷲イタダキ市の企画運営委員会が開催され、その調整と事務局としての参加もしました。これまでの私と同様、選挙戦に集中しないわけではありませんが、率先する市民活動をうたっている以上は、そちらの仕事もほっぽり出すわけにはいきません。今週末には、熊野市紀和町小船で、梅の収穫イベントもあるので、その調整もしながらでした。さらに先の企画や計画もあるので、深夜に対応できることと、日中に対応しなければならないこともありました。しかし、これが私であり、余裕とかそんなんではありません。ただ、もう少しこの地域に、市民活動の大切さに理解があれば、なにも私でなければできないことでもないんですけどね。そこにも、私の日頃の不徳のいたすところがあるのです。

 はなし徹也事務所は、常にいい雰囲気でした(だと感じています)。スタッフにとっては、仕事は覚えながらでしたが、出納責任者が私自身だったので、深夜にパソコンで整理しながら、日中の整理をやりました。スタッフが丁寧にやってくれていたので、深夜の作業はスムーズでした。もともと、選挙活動に多額の資金を投じませんが、それでも30万円の活動資金を元手にしているので、ボランティアスタッフによるいわゆる無償の対応は、両親と近しく時間的に制約があった数名だけでした。

 私の選挙事務所の場合、届出しているスタッフの日給は、3千円と5千円で、常勤スタッフの1名が1日5千円の対応でした。あとは、1日3千円の支払いでしたが、ボラバイトのような薄給にも関わらず、23名のスタッフのうち、17名が有給スタッフで、残りの6名が無給スタッフでした。ちなみに、尾鷲市在住が8名、紀北町在住が3名、熊野市在住が3名、御浜町1名、伊勢市1名、奈良県1名、大阪府2名、京都府4名の内訳でした。スタッフの所在地が多彩なことも、私の選挙事務所の特徴の一つです。しかし、尾鷲市在住が少ないと言われれば、ここも不徳のいたすところです。

 しかし、私の選挙を応援してくれる影のスタッフは、把握できていない部分も当然ありますが、出生地の飛鳥町には、両親の友人や知人の約10名くらいの方が、推薦者として公選葉書に記名していただき、メールや電話などで、私の支援をしてくれていました。また今回は、尾鷲市在住の数名が、いままで以上にバックアップしてくれました。この支援は、これまで目立ってなかったので、実に嬉しいことでした。言い換えれば、それだけ必至な選挙を物語るものでした。スタッフについても、知り合いや友人たちに、必至になって紹介や支援を求めてくれました。

 それだけに、期待に沿うことができない結果には、本当に情けない気持ちです。それでも、意外にも選挙に関心がない人は多いということを、スタッフ自身が身を持って知ってくれただけでも、今後の何かには、期待せずにいられません。いつも、私は考えるのですが、実践で学ぶことほど、身になることはありません。そして、それが活かされるかどうかは、私を越えた所になってしまっても、学ぶ機会を与えることは大事だと考えています。私が考える選挙戦は、事務所のスタッフにとっても初めてのことが多く、この機会に知ることもたくさんあります。それは、新しい繋がりが生まれる場でもあるし、ときにはお叱りや非難も浴びることもあります。それでも、この尾鷲市でまさにいま起きていることを体感できる絶好の機会が選挙でもあるので、私という候補者を通して、自分の町を知ることもあろうかと考えています。

 今回、学生たちが駆けつけてくれましたが、彼らにも、同様の体験をして欲しいと画策しました。学生のなかには、法律や地方自治を学ぶ者もいたので、机上では体験することのできない現実や実情は、なによりの糧になるはずですし、ここで得た刺激は、きっとこの先の荷物にはなりません。そういったことを演出するのも、候補者の腕の見せ所ですし、それで勝ち上がれば、なおさら良かったのですけどね…
by owase874 | 2013-06-11 13:15 | コラム「温故知新」

はなし徹也の選挙戦を振り返る、その一

 あとになれば、また違った面も見えるはずですが、いまこの時点での反省と考察をします。

 今回の選挙戦に入るまでは、私に対する評判は、「勇退する議員の後釜か、かなりの支援を受けるで楽勝」が体制でした。これまで、私を支持してくれてたであろう同世代からも、「余裕やり?」と冷やかされました。確かに、そういうことを夢見たこともありましたが、私は、私のやりたい選挙を突き通したことと、その結果が落選と出たことで、そういった噂は、単なる噂でしかなかったことを証明したと感じています。残念がら、落選という形でしたが…

 では、私と勇退した議員との間では、なにか特別な事情があったかと言えば、仲たがいも擦り寄りの失敗などもありません。もちろん、同じ敷地内に住み、会派を長らく組み、歩調を合わせることも多かったので、そういった関係性ではありました。しかし、それ以上も、それ以下もありませんでした。もっと言えば、私が真剣さをもって、お願いしなかったのは言うまでもありません。それは、私もいち議員であり、葛藤はたくさんしましたが、自分を貫くことを選択した結果でもありました。その結果、選挙戦が苦しくなることは、自分自身が十分承知していましたが、私が、自分自身の評価を推し量りたかったこともありました。

 私は、選挙戦に入るまでの期間、選挙のお願いと受け取られるような議員活動をしませんでした。これも、自分自身に課した約束です。それではダメだとわかりきっている部分もありますが、これまでの活動を有権者がどうみているかを、この選挙戦で推し量りたいからです。では、何もしなかったのかと言えば、約250人の方に、これまでの議会活動報告と一緒に、私が私であることを考察した手紙も認めて送りました。私の場合、支持をしてくれるような企業や組織がありませんし、個人を特定するのも難しい候補者でもあるので、この250人は、これまでの公選葉書の中から中心に、それでも近しいと思える方を選択しました。あと、選挙戦の直前に、自分の住まいの周辺に、選挙戦でバタバタとすることのお知らせをした程度でした。

 ほとんどなにもしないままでしたが、スタッフを集めることも、また苦労しました。私の場合、表立ってやってくれる支持者がもともと少なく、選挙ごとに変わっていくこともあります。ここにも、私の不徳のいたすところがあるのですが、選挙に関心を持ってもらう、その選挙が何を意味するのかを、私自身が身を持って周知させていないことが大きいと感じています。あとは、これまでの議会活動を、より詳しく広報していないこともあります。しかし、選挙ポスターの写真などは、友人のプロのカメラマンにお願いし、ポスターのデザインから文言までを自分で考えて制作しました。もちろん、公選葉書も同様で、ここには私なりの戦略はありました。

 幸いにして、スタッフには恵まれました。常勤スタッフを1名確保し、非常勤スタッフも選挙期間中は切れ目なく充足できました。選挙ごとにスタッフが入れ替わりますが、それでも新しいスタッフがやってきてくれます。また、初当選からのスタッフ数名も、3期目の応援に駆けつけてくれました。そして、立命館大学や龍谷大学の4回生6名が、災害ボランティアの繋がりで、平日の期間に駆けつけてくれたことも大きかったです。選挙スタイルを変える予定でしたので、彼らの存在は、大きかったです。なによりも、私のために来てくれたことと、彼らのようなこれからの日本を背負って立つ世代に、田舎の地方自治体の選挙戦を体験してもらうことは、絶対にためになるはずだとの確信もありました。

 お叱りを受けるかもしれませんが、選挙活動は楽しくやらないと、息苦しく、重苦しく、悲痛感しかない選挙では、候補者の私が訴えていることとのギャップが大きすぎます。私は、夢をもった議員候補者であり、未来を予測していまを考える人であるからです。楽しい夢がなければ、ただ単に選挙に受かりたいだけの選挙では、自分本位だと感じるのです。
by owase874 | 2013-06-11 12:12 | コラム「温故知新」

お知らせ

 詳細は、後日報告しますが、3期目を目指した尾鷲市議会議員選挙、次点にて落選してしまいました。本当に、期待していただいた方には申しわけありませんでした。

 このような私に、486票もの負託をいただきましたが、9票及びませんでした。不徳のいたすところ、本当にすみません。

 なお、今回の選挙では、最年少候補者の私と、次に若かった現職も落選しました。また、市長選挙においても、30代の挑戦者が現職に及びませんでした。

 悔しいですが、これが現実です。

 本当に、ごめんなさい。
by owase874 | 2013-06-10 03:07 | コラム「温故知新」

しばし、ブログの更新はできません

 お決まりですが、ご報告です。

 明日より、市議会議員選挙がはじまります。このため、ブログの更新はできません。バタバタと準備をしながら、いろいろなことを考えて、いまの時間になりました。主夫をしながらの議会活動にも、本当に考える日々でもありました。

 しかし、立ち止まることはあっても、汗をかきかき前に進み、与えられた役割を一所懸命にやるだけです。

 私には、夢があるのです。
by owase874 | 2013-06-01 23:54 | コラム「温故知新」

議会が不在ということ

前尾鷲市議会議員の端無徹也です。

5月30日で、市議会議員の任期を終えました。
通常であれば、任期中に改選がありますが、今回は失職しています。
市長選挙との同日選になったからですが、つまりは議会不在です。
5月31日より、6月10日の当選証書を授与されるまでの期間です。
全ては、尾鷲市選挙管理委員会が決めたことで、従うしかありません。
そのことについては、とやかくありませんが、考えることはあります。
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今日付けの南海日日


地元紙のトップ面に、談合疑惑のニュースがありました。
新桂山配水池に絡むものですが、紆余曲折しての入札延期です。
しかし、議会がないいま、これをどうにもこうにもできません。
追求も事実確認も、議会自体がないのでできないのです。
そう考えると、議会不在は異常な事態です。
市民に説明する機会がなくなっているのです。
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昨日付の中日新聞


次に、これは、伊賀市が6月の定例会に上程する予算です。
風しんのワクチンについては、私もブログに書いています。
とくに、若い世代に罹患者が増加し、妊婦への感染は深刻です。
県内の自治体でも、一部助成を決めるようになってきました。
しかし、尾鷲市では、これを提言できる議会がありません。
市長が専決処分でできなくもないですが、ちょっと無理くりです。
そう考えると、議会不在は異常な事態です。
早急に対応する機会がなくなっているのです。

議会がないということは、仕事をする人がいないということです。
仕事をしていないと揶揄されますが、ないとなんにもできないのです。

前市議として、それは非常にヤキモキしますが、仕方ありません。
パッと前から現れて、すぐにでも提言したいものです。
by owase874 | 2013-06-01 05:00 | コラム「温故知新」


市民活動の延長線上に、市民目線の政治があると考えています。


by kumano874

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ご挨拶とブログの概要

当ブログに来ていただきありがとうございます。私が政治に関心をもったのは、災害現場でボランティアとして活動しているときに、どうしても市民活動・NPO活動だけでは届かない声があると感じてからです。1995年の、阪神淡路大震災のときです。それ以降、政策提言できる市民活動を合言葉に、さまざまなことを実践しています(市民派向けのブログもあります。こちらCafe_CReAM モノ語り)。


これまでの思いが実現したのが、2006年11月から、2期6年半在職した尾鷲市議会議員でした。3期目の挑戦には苦杯しましたが、貴重な実体験をさせていただき、条例の制定を中心にした議会改革や、市民活動で培った政策提言を直接できる立場として、負託の重さを実感することができました。

また、尾鷲市議として負託をいただいてからは、この地域ではいち早く、議員活動をお知らせする手段の一つとして、このブログを活用しました。当時のことも含め、日々私が何を感じ、何を考えているかを綴る活動報告にもなっています。なお、2014年5月1日からは、三重県熊野市議会議員として、あらたな1歩を踏み出します。

ときには辛口の意見もありますが、東紀州における公益や市民益を考える一人の意見として読んでいただければ幸いです。

質問や批評など、ご意見がございましたら、下記宛にお願いします。何かしらの方法で、きちんと対応させていただきます。ただし、ブログのコメントには、できる限り返答をいたしますが、端無自身の裁量になることをお許し下さい。

◆ブログ管理者
 未来874事務室
 熊野市飛鳥町佐渡462番地
 0597-84-1033
 kurage874@cream.plala.or.jp 

なお、たくさんの意見や考えをお聞かせ願いたいので、直接にお会いすることも可能です。日程調整などしますので、その旨をお伝え下さい。

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