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なぜ、熊野市議会議員を目指すことになったのか?

※地元紙のヨシクマ新聞に、大きな見出しとともに記事が掲載されました。ごく最近、SNSサイトに、私の思いというか、いまの決意を掲載したところ、記者の目の止まったようです。正式な出馬表明など、そこまでの段取りも準備もできていませんが、きちんとできるようになった段階がくればと考えていました。しかし、記事が出たのは、ヨシクマ新聞の取材力によるものですし、記事の内容に偽りも差異もありません。そこで、あの記事を補足する形で、SNSに掲載した全文をここでもお知らせします。あらためて、準備ができれば、正式に表明することにします。

 熊野市に戻っても、キタガワノホトリ(東紀州市民活動支援センター)がある尾鷲市には通っています。また、娘が3月末まで尾鷲市内の保育園へ通うことにしたので、送り迎えもしなくてはなりません。今回、最終的に思い悩んだことは、娘の将来であり、保育園をここで全うさせるのか、早いうちに転園させるのか、でした。結果的には、3月末での転園となり、娘にも説明をしました。本人は、まだ理解はできていないようですが、周りには「ひっこしするん」と言っているようです。その本当の引っ越しも、急ぎ荷物をまとめたり、実家に居候している部屋の居場所を広げたりしています。何もかもが、後手後手のようですし、僕らしいといえばそれまでです。

 しかし、僕にとっての賽は投げられているので、実家の父親を伴いながら、地元の主要な方へのあいさつ回りを重ねたり、これからすべきことを共有したりしています。一番の懸念であった、同じ地区から選出されている先輩議員のところにも、父親を伴って挨拶に行ってきました。非常にバツの悪い話ですが、仁義を通すことはなによりも大事ですし、だからといって、自分自身の気持ちは前に向かっているので、その日がくればライバルとなります。これは、尾鷲市で市議会議員であった頃とは違う感覚ですので、地元選出の先輩議員の話を聞いて、闘志といっていいのかわかりませんが、ふつふつと燃え上がるものが沸き起こりました。この戦いには、まずは負けるわけにはいかないのです。

 では、なぜそうまでしてそこを目指すのか?

 僕は、東紀州地域はひとつであるが持論です。なににおいても、それぞれの自治体の枠はあったとしても、三重県で括れば東紀州ですし、もっと高いところから見れば、三重県南部か紀伊半島南部という位置づけです。日常生活する環境に大差はなく、同じような課題や問題も抱えています。解決するには、自治体の枠内でしかできないこともあるでしょうが、もっと広い視野から、この地域の将来や未来を考えることが必要だと感じています。多様な文化や伝統、慣習が脈々と受け継がれている地域であっても、抱える課題に共通することが多いので、東紀州は一体となる必要があるはずです。

 その点で言えば、僕は熊野市の出身でありながら、尾鷲市に移住し、尾鷲市で市議会議員を目指しました。僕としては、どの地域に住んでいても、故郷は熊野市飛鳥町に変わりないし、この地域のどこにいても、人に寄り添う活動には境目がないと考えていました。前回にも書きましたが、ここに、市議会議員と率先する市民としてのギャップを感じることもあったのですが、世界遺産登録10週年を迎えようとしているこの地域は、伊勢路が1本の道で繋がっているように、その道沿いを軸として暮らす住民も、寄り添って生きていかねばならないのです。そこに、自治体の境目を押し付けたとしても、人は自由に道を通って交流するのです。

 しかし、僕の不甲斐なさで、尾鷲市での議員生活に終止符を打つことになりましたが、この点に後悔はありません。好きなように選挙戦をやらせていただき、その結果は甘んじて受けるしかありません。いまでも、僕に声をかけてくれたり、次回への期待を言葉にしてくれる尾鷲市内の人たちには、裏切るような気持ちがあることも確かです。しかし、僕の進むべき道は、どこにいても、東紀州はひとつという考えであり、この地域の人たちにとって大事なことを、自分の考えと信念でもって、次は熊野市にぶつけていきたいと考えています。そのときに、やはり議員という立場でいることは、僕にとっては大事なことであるのです。

 そして、熊野市に戻ってまで目指すことになったのは、2011年の紀伊半島大水害が大きく影響しています。あのとき、僕は災害発生前から全国に情報発信し、被災してからも、いち早く実家の飛鳥町に赴いて、近隣の被災状況をレポートしました。自分が生まれ育ったまちが被災したのを目の当たりにして、僕にはもっとできることがあるのだと、もっとやらねばならぬことがあるのだと、強く確信しました。折しも、東日本大震災が発生したあとで、こちらの支援を主にしていた時期でしたが、我が故郷をほっておくことなんてできるはずがありませんでした。すぐに気持ちを切り替えて、全国の仲間にも呼びかけて、できることを淡々とこなしたつもりです。

 このときは、熊野市の飛鳥町を皮切りに、大又川沿いの五郷町や、災害ボランティアの手が薄かった井戸町の大馬地区や大馬神社などに、延べ24日間で約230名を超える災害ボランティアを派遣しました。大きく被災した大馬神社には、関西方面の大学生を中心にした学生ボランティア団体のIVUSAも、大勢でもって駆けつけてくれました。人の生活に密着した場所や、思い入れのある場所をいちはやくキレイにすることが、住んでいる人たちの勇気となり、明るさを取り戻す最短距離であることを、これまでの活動で体得していたからです。また、年が明けた2012年には、漂着ゴミがそのままだった熊野市の大泊海水浴場の清掃活動で、延べ7日間、約800名のボランティアに駆けつけてもらいました。このときも、大勢のIVUSAの学生ボランティアたちが、清掃の中心を担ってくれました。よそ者が、熊野市のために汗を流してくれたのです。また、メディアで惨状を訴え続けていた紀和町の小船地区にも、その後の支援を継続する形で、梅まつりや梅の収穫に、いまでも手伝いに行かせてもらっています。

 大事なことは、人に寄り添うことであり、使命感をもって、困っている人や地域に手を差し伸べることです。それを、自治体の枠で抑制することはできないし、当時の僕が尾鷲市議会議員であったのは肩書のことだけで、この地域に住んでいる以上、どこにでも飛んでいけることが、僕にとっては普通のことなのです。もちろん、この地域で大きく被災したことは、それまで住んでいた尾鷲市にも教訓になることは明らかでしたし、そのときの活動で感じたことを、当時の施策に反映するようにも声をあげました。しかし、思うように受け入れられなかったのも事実ですし、僕がギャップを感じたのもこのときでした。まだまだ、東紀州がひとつであるという実感や実践が、この地域全体で進んでいないこともあるのです。それもあって、このときの災害で、故郷への回帰が起こったのは確かです。また、その迷いが、尾鷲市での結果を招いたと考えることもありました。

 率先する市民としては、東紀州のどこにいても、思いや考えは同じです。しかし、熊野市に戻り、4月に目指すからには、自分の故郷を拠点にして、中山間地域のいまある姿が本当にこのままでいいのかを考え、東紀州全体に影響を与えるような発言や実践ができればと強く感じています。尾鷲市議会議員としてやってきたことは、必ず僕の糧になっているので、さらに飛躍したいと考えています。災害を止めることはできませんが、被災を極力小さくすることは不可能ではないので、実践しながら施策に反映させることができればと感じています。政策提言をしていくことが、これからの率先する市民には必要不可欠です。その代表のひとりとして、東紀州地域における市民活動のあり方を考えながら、政治家としての活動もしたいと考えています。

 結果的に、選挙を渡り歩くことへの批判は甘んじて受けます。まだ1年も経っていません。しかし、2011年の災害を契機に、僕は故郷のあるべき姿を模索するようになりました。また、このときの経験が、この地域で必ず教訓となることも確信しました。だからこそ、尾鷲市で踏ん張る気持ちで3期目を目指したのです。もちろん、どこにいても、東紀州はひとつであるという持論をもとにです。ただし、選挙に破れてからの半年で、自分を見つめなおし、原点に帰りたいという気持ちにもなりました。この気持ちは、尾鷲市にいたからこそ、体得できたものだと感じています。次は、負けるわけにはいきません。僕がこれまでやってきたことは、歩いてきた道として、細いながらも轍が残っています。次に、この轍を通ってくる人たちの道標となるよう、あるいは基礎となるように、僕は信念を変えることなく、東紀州のあるべき姿を、熊野市を通じて実践していきたいと考えています。

 絶対的に、東紀州はひとつです。


※これに伴い、後援会活動への賛同者、参加者を募集する段取りをしています。熊野市内の在住者のみならず、これまで同様に、県外者も歓迎します。私の指南役、アドバイザーとして、末永く支えていただければ幸甚です。また、4月になって軌道にのれば、選挙活動なども入ってくるので、できる範囲でのサポートをよろしくお願いします。選対などない状態ですので、なにかもが手探り、手づくりになります。皆さまのお力とご支援が必要です。
by owase874 | 2014-01-25 02:34 | コラム「温故知新」

数字に惑わされていないか?

 三重県が発表した、平成26年お正月期間中の県内主要施設の観光入込客数についてです。

■平成26年お正月期間中の県内主要施設の観光入込客数について
 http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/2014010017.htm

 ネットニュースなどでも、県内主要施設の状況を報道していますが、ここで気になることがありました。道の駅の紀伊長島マンボウが、唯一前年度の入り込み数を減少し、高速道路の影響を受けたとありました。
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 三重県知事にとっても、ご満悦な数字が出たということですが、報道によって、マンボウがそこまで言われることはないと感じますよね。だって、東紀州地域の調査施設では、断トツの三が日11,236人を達成しています。数字が伸びたと言われた三重県立熊野古道センターは、1,557人どまりです。熊野市のお綱茶屋にしても、7,300人となっています。数字の単純比較では、マンボウの誘客力はもの凄いと言うことです。
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 しかし、対前年比3,056人の減となれば、高速道路の影響は否めないでしょうし、反対に、県立熊野古道センターについては、高速道路の延伸が増加につながったとまで言っていいのかの判断がつきません。なにせ、対前年比373人です…これは、お綱茶屋の800人の増でも言えることです。もう少しデータが欲しいところですが、2回の調査データで、あたかも結論付けるような結果を出すこともないでしょう。

 そんな数字のマジックに惑わされるよりは、公表不可の7施設ってのも気になります。と言うか、三重県が調査したということですから、この7施設にもそれなりの県予算が使われたはずです。それで非公開と言うのは、県民の知る権利を蔑ろにしていないかと考えてしまいます。公表した10施設の姿勢には評価できますが、なぜ非公開なのかを公開する必要性があると感じますね。このあたり、県議会議員の追求を待ちたいところです。おそらくは、情報公開請求で知ることはできるかも知れません。

 大事なことは、入り込み客の増減から予測したり、今後の検討をしたりすることですが、三重県の調査に公開不可があることも、私にとっては気になったところです。実際には、世間に公開されずとも、内部公開はされているでしょうから、その傾向から今後を検討していることと感じます。しかし、そこを公開するのが透明性ですよね。

 それにしても、道の駅紀伊長島マンボウって、県南の道の駅のなかでも突出しているのではないでしょうか?高速道路の延伸がもたらす功罪ってあると感じますが、魅力があれば人は寄り付くものです。今後、県南の高速道路はさらに延伸し、尾鷲においても、キタとミナミが繋がる日も近いでしょう。いまは熊野市の大泊までですが、さらに和歌山県側まで伸びることになったとき、この地域のすべきことは、いまから考えていくことだと痛感しています。

 余談ですが、数字をみると、ついつい追跡したくなりますね。
by owase874 | 2014-01-10 20:27 | コラム「温故知新」

決心

 1月6日(月)は、熊野市にある大馬神社の例大祭でした。

 ちいさい頃から、大馬神社は実家の飛鳥町を越えた先にあって、僕が熊野市を離れるまでは、遊び場に近い神域でした。この近くには、水大師もあるのですが、ここを経由して神社に行っていました。

 学業で大阪に出てからは、しばらくは疎遠になるのですが、2011年の紀伊半島大水害で、大馬神社周辺も大きく被災していることがわかり、大勢の災害ボランティアが復旧に駆けつけてくれました。延べ人数で言うと、300人を優に超えるはずです。

それが縁で、災害の翌年からは、神社の方から功労者として例大祭に声かけしていただけるようになりました。当時の災害ボランティアの代表として、毎年参列させていただくとともに、一年の計は元旦にありではないですが、大馬神社にお参りすることが、僕にとってのはじまりとなっています。

 なので、僕にとっては、この日と決めておりました。

 わたくし、端無徹也は、この神事のあとに、尾鷲市民から熊野市民に戻りました。実に、約9年ぶりのことですが、僕にとっては、この半年の間に考えぬいて出した答えになります。この決断は、本当に大きな人生の選択でありました。もちろん、さまざまな指摘や意見を承知の上での決心です。甘んじて、受けようと考えています。

 そして、この決断の先には、4月に行われる熊野市議会選挙に挑戦することを念頭においています。もちろん、なんの準備も支援もないままですが、政治の世界に身をおくことが、いまの僕が望む道であり、市民活動との両輪で、この地域に一石を投じたいとの強い気持ちがあるからです。

 今後は、そのための準備をしながら、これまで通りの活動も継続していく所存です。ここまでの決心は、誰にも相談せずに決めましたが、最後の迷いがあったときに、両親には理解を求めました。正直なところ、両親は困窮していましたが、父親からは、「お前は決めたことはやるんだろ?覚悟があるなら仕方がないな」と言っていました。本当に、バカ息子だと感じています。

 いつもにも増して、バタバタと過ぎていきそうな、2014年の上半期です。しかし、子育てを疎かにすることなく、また、いまやっている活動を蔑ろにすることなく、きちんと政策提言もできる活動をした上で、自治体の場所が違えど、再び政治の世界に身をおくことができるように邁進します。

 強く感じることは、この地域は、自治体の境目を人の境目にするのではなく、人の流れが自治体の枠を変えていくようになればとの願いです。文化や伝統、慣習などと同じく、まさに世界遺産登録されている熊野古道の伊勢路のように、1本の道に人が流れ、また、迎え入れるようでありたいと考えています。

 このようなわたくしですが、今後ともおつきあい願えたら幸甚です。また、これまで以上の、ご支援とご協力を、父娘ともどもよろしくお願いします。

 端無徹也

※この書き込みあたり、事前に法に触れないかを調べてもらったところ、この程度であれば抵触しないが、最終的に決めるのは所管する警察との意見をいただきました
by owase874 | 2014-01-07 00:51 | コラム「温故知新」


市民活動の延長線上に、市民目線の政治があると考えています。


by kumano874

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ご挨拶とブログの概要

当ブログに来ていただきありがとうございます。私が政治に関心をもったのは、災害現場でボランティアとして活動しているときに、どうしても市民活動・NPO活動だけでは届かない声があると感じてからです。1995年の、阪神淡路大震災のときです。それ以降、政策提言できる市民活動を合言葉に、さまざまなことを実践しています(市民派向けのブログもあります。こちらCafe_CReAM モノ語り)。


これまでの思いが実現したのが、2006年11月から、2期6年半在職した尾鷲市議会議員でした。3期目の挑戦には苦杯しましたが、貴重な実体験をさせていただき、条例の制定を中心にした議会改革や、市民活動で培った政策提言を直接できる立場として、負託の重さを実感することができました。

また、尾鷲市議として負託をいただいてからは、この地域ではいち早く、議員活動をお知らせする手段の一つとして、このブログを活用しました。当時のことも含め、日々私が何を感じ、何を考えているかを綴る活動報告にもなっています。なお、2014年5月1日からは、三重県熊野市議会議員として、あらたな1歩を踏み出します。

ときには辛口の意見もありますが、東紀州における公益や市民益を考える一人の意見として読んでいただければ幸いです。

質問や批評など、ご意見がございましたら、下記宛にお願いします。何かしらの方法で、きちんと対応させていただきます。ただし、ブログのコメントには、できる限り返答をいたしますが、端無自身の裁量になることをお許し下さい。

◆ブログ管理者
 未来874事務室
 熊野市飛鳥町佐渡462番地
 0597-84-1033
 kurage874@cream.plala.or.jp 

なお、たくさんの意見や考えをお聞かせ願いたいので、直接にお会いすることも可能です。日程調整などしますので、その旨をお伝え下さい。

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